国鉄コキ5000形貨車
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| 国鉄コキ5000形貨車 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 車種 | コンテナ車 |
| 運用者 | 日本国有鉄道 |
| 製造所 | 汽車製造 |
| 製造年 | 1959年 |
| 製造数 | 57両 |
| 消滅 | 1967年 |
| 主要諸元 | |
| 車体色 | 赤3号 |
| 軌間 | 1,067 mm |
| 台車 | TR91、TR63 |
| 最高速度 | 85 km/h |
国鉄コキ5000形貨車(こくてつコキ5500がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1959年に導入した貨車(コンテナ車)である。日本初のコンテナ専用特急貨物列車「たから」用として開発され、試作車2両・量産車55両の57両が製造された。
登場時の形式は長物車のチキ5000形で、コンテナ車の区分が制定された1966年にコキ5000形へ改称、1967年には全車がデッキ付きのコキ5500形へ改造編入された。
日本国鉄におけるコンテナ輸送は、戦前の鉄道省時代の1931年に1トン積みの「イ号コンテナ」により開始された。後に150 kg積みの「ロ号コンテナ」や「ハ号コンテナ」も導入されたが、第二次世界大戦の勃発により1939年にコンテナ輸送が中止された[1]。
戦後の1955年には貨物輸送近代化のため日本国有鉄道により3トンコンテナが試作され、トラ30000形で試験輸送が行われたが、輸送結果などを考慮して5トン積みのコンテナの開発へ移行した[2]。これにより開発された5000形コンテナの積載に対応したコンテナ専用車が製造されることになり、1959年に運行を開始するコンテナ特急「たから」用としてチキ5000形(初代)が登場した。当時はコンテナ車の車種区分(記号は「コ」)はなく、長物車(記号は「チ」)が使用された[3]。
構造
最高速度は85 km/hで、荷重5トンのコンテナを5個積載可能である[4]。
車体
台枠は溶接構造で、中梁を省略するとともに中央部の側梁を魚腹構造とした[5]。この台枠構造はその後の国鉄・JRコンテナ車においても広く採用された。車体塗装は赤3号が採用されたが、試作車のうち1両のコキ5001のみは黒であった。固定編成での拠点間輸送に特化したため車端部のデッキは設置されず、留置用の手ブレーキのみが備わっていた[6]。
コンテナ緊締装置
コンテナを貨車に固定する緊締装置はコンテナを製造する東急車輛製造と富士重工業がそれぞれ考案し、試作車のコキ5000号に東急製、コキ5001に富士重工製がそれぞれ搭載されていた[3]。東急製はコンテナ中央下部側面に装置を設け、貨車側のアンカーに結合させるもので、フォークリフトで載せることで施錠される仕組みであった[3]。富士重工製はコンテナの四隅をくさび型ファスナーで締め付ける方式であった[3]。
量産車では半自動で解結可能な東急製を基本としたものが採用されたが、機構の複雑さも考慮して試作車とは逆に貨車の床面に緊締装置を、コンテナにアンカを設ける方式となった[7]。積み込みの際はコンテナを貨車の所定位置に載せると自動施錠され、降ろす際はレバーで手動解錠する半自動方式である[8]。
台車
台車は85 km/h運転に対応したTR63形が新規開発され、プレス溶接の台車枠にコイル軸ばねところ軸受が採用された[5]。試作車にTR91形として搭載し、量産車でTR63形として本格採用された。当初は基礎ブレーキが両抱き式であった。
製造
試作車
1959年4月に汽車製造でチキ5000・5001の2両が落成した[3]。同時に5000形コンテナの試作型も東急車輛製造で10個、富士重工業で10個の計20個が同年3月に製作された[9]。
車体は台枠上部が全面床張りであり、側枠の補強部も下部が狭い構造となっていた。手ブレーキは車端部の床上に設けられた。台車は85km/h運転に対応した試作台車のTR91が装着された。緊締装置は試作コンテナに合わせてコキ5000が東急式、コキ5001が富士重工業式を搭載していた。塗装はコキ5000号は赤であったが、コキ5001号は黒となっていた[3]。
量産車
1959年11月のコンテナ特急「たから」号運転開始に合わせて、1959年8月から10月にかけてチキ5002 - チキ5056の55両が汽車製造で製造された[10]。5000形コンテナも量産型が導入され、東急製が5100番台の5100 - 5264、富士重工製が5500番台の5500 - 5664にそれぞれ番台区分された[10]。
台枠上部は床張りが台車周辺のみとなり、側梁の補強部は垂直の構造となった。手ブレーキは車端部の下部側面に移動した。塗装はコキ5000号と同じ赤3号が採用され、コキ50000形までの多くのコンテナ車に採用された[10]。台車は量産型のTR63形となった。コンテナ緊締装置は東急式を基本に緊締機構を貨車側に、アンカをコンテナ側に設けた。
運用
1959年4月8日・9日の両日に汐留駅でチキ5000形試作車2両と5000形試作コンテナ20個の展示会が行われ、フォークリフトによる積み下ろし実演も行われた[3]。同年6月22日からは汐留駅 - 梅田駅間で試作車と試作コンテナによる試行輸送を開始し、9月22日からは量産車による試行に移行した。
量産車と量産コンテナが出揃い、1959年11月5日より汐留駅 - 梅田駅間で日本初の本格的コンテナ専用特急列車「たから」の運転が開始された[7]。チキ5000形24両編成でコンテナ積載数は120個、ダイヤは夜間発・翌朝着で所要時間は10時間55分であった[10]。牽引機は汐留駅 - 吹田操車場間がEH10形、当時非電化の吹田操車場 - 梅田駅間はD52形であった[11]。
積載するコンテナの塗装は旅客特急列車の「青大将」色(淡緑5号)より明るい淡緑3号が採用された[11]。編成最後部にはヨ3500形を2段リンクに改造したヨ5000形が連結されており、車体はコンテナと同じ淡緑色、台枠はコンテナ車と同じ赤で塗装されていた[10]。
試行輸送に使用されていたチキ5000形試作車2両は、試作コンテナ20個とともに緊締装置などを量産車に合わせる改造を行い、1960年10月より一般輸送に復帰している[12]。
コンテナ列車の運用区間拡大により、1960年には5000形コンテナを改良した6000形コンテナが登場したほか、チキ5000形にデッキを設けて増解結に対応したチキ5500形の量産が開始された[10]。1964年にはコンテナと「たから」号用ヨ5000形の緑色塗装が淡緑色から黄緑色(黄緑6号)に変更された[8]。1966年のコンテナ車の区分制定によりチキ5000形もコキ5000形となった。
1966年には最高速度100 km/hのコキ10000形が特急貨物列車に投入された。コキ5000形は1967年に全57両がデッキを増設してコキ5500形に編入されたため、コキ5000形の形式は消滅した。
コキ5500形への編入改造
汐留駅 - 梅田駅以外ではコンテナ専用列車を設定するほどの輸送量を必要としない区間が多く、有蓋車の併結など増解結に便利なようデッキを設けたチキ5000形→コキ5500形が1960年より量産された[10]。既存のコキ5000形もデッキがないことで運用上不便となったため、全57両にデッキを追加してコキ5500形に編入する改造が1967年に行われた。
車両番号は当時増備されていたコキ5500形のうち前期車の続番で、試作車2両はコキ6714とコキ6715、量産車はコキ6716 - コキ6770となった[13]。その後、12ftコンテナ4個積みに改造された車両は車両番号に20000が足された。
チキ5000号として落成した車両であるコキ5500形コキ26714は、2002年にJR貨物愛知機関区でコキ5500号の番号を復元して保存された[14]。