1928年、城子崖で新石器時代後期の遺跡が発見された。1930年から1931年の二度にわたり呉金鼎ら中央研究院歴史語言研究所によって調査された。当時は龍山文化の城跡と認められなかったが、1975年の王城崗遺跡で龍山文化期の城跡が発見されて以降、再調査されて山東龍山文化期の城跡であると確認された。
1990年、山東省文物考古研究所が再発掘をおこない、この遺跡は周代以前の3つの城跡が重なったものであることが明らかになった。そのうち最も古いのは龍山文化期の城跡であり、平面は東西が約430m、南北が最長部で約530mとほぼ正方形で、面積はこの時期の都市遺跡では最大の20万平方mに達する。城壁地上部分はすでに破壊しつくされていたが、城壁基底部が地表から2.5m - 5mの深さに、幅8m - 13mの規模で4城壁とも保存されていた。当初の城壁は東壁・南壁・西壁の各壁は直線状であったが、北壁は湾曲して北に突き出ていた。
城子崖遺跡の規模は辺線王遺跡や平糧台遺跡と比べて3 - 4倍、王城崗遺跡と比べて20倍もあって、4000年前の都市遺跡としてはこれまでで最大規模である。都市としての性格も、主として防御機能を果たす城堡の範疇を超えていたと考えられる。