塩谷一夫
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静岡県磐田郡袋井町(現・袋井市)出身。袋井町長、中遠鉄道社長、袋井合同運送取締役を務めた塩谷桑平と、きく(古田庄太郎二女)の七男[4]。1941年に早稲田大学政治経済学部卒業。
1946年、地方建設研究所長[3][5]。1948年、静岡県教育委員会委員[3][5]。1951年、同県社会教育協会事務局長、同県総務部秘書課長となり1955年、県民会館長を兼務する[3][5]。1957年、同県企画調整部秘書課長[3][5]。
1967年、静岡県教育委員会企画調整部長を経て、第31回衆議院議員総選挙に中選挙区時代の旧静岡3区から立候補し初当選(通算7回当選)[注釈 1]。ロッキード事件判決で自民党に逆風が吹いた1983年の第37回衆議院議員総選挙で落選したが、1986年の第38回衆議院議員総選挙で復帰した。
当初は党内の派閥は三木派だったが、四十日抗争の際に離脱し無派閥となり、その後安倍(晋太郎)派に加入する。
自民党が1987年度予算の委員会採決を強行採決した直後から、売上税撤回を求める署名運動の代表世話人に。晩年の1989年8月の自民党総裁選では亀井静香・平沼赳夫の要請で石原慎太郎(後の東京都知事)の推薦人名簿に名を連ねた。
議院在職中の1989年12月28日、死去した。69歳没。翌1990年1月8日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって正四位勲二等に叙され、旭日重光章を追贈された[6]。追悼演説は翌1990年3月27日の衆議院本会議で、松前仰により行われた[7]。
衆議院外務委員長・地方行政委員長を歴任したが、閣僚になることは1度もなかった。死去後の1990年第39回衆議院議員総選挙では塩谷立が地盤を継承し当選した。