粟屋敏信
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広島県広島市出身[2]。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校、東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。
退官後の1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で立候補したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。
第40回衆議院議員総選挙は新生党、第41回衆議院議員総選挙は新進党、その後、太陽党、民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙は無所属の会から立候補し当選(広島2区)。
衆議院地方行政委員長等を歴任し、2003年(平成15年)に政界から引退する。
2016年9月4日午前10時39分、老衰のため、東京都内の病院で死去した[4]。90歳没。死没日付をもって従三位に叙された[5]。