1937年(昭和12年)3月19日、松竹・下加茂撮影所のスタッフがエキストラ10余名を雇い姫路城で戦闘シーンの撮影を行った。撮影班は硝煙を張るためにマグネシウムの使用を申請して却下されていたが撮影を強行。「ろの門」付近の土塀や石垣にマグネシウムを仕掛けて点火[6]したところ、想定を超える爆発となり吹き飛んだ石垣が見物人を直撃し、死者1人と複数の負傷者を出した。[7]
事故当時、姫路城は土塀や石垣などの周辺構造物も含めて国宝(旧国宝)に指定されていたが、古社寺保存法の保護下にあった神社仏閣ほど厳格な保存義務は課されておらず、このような撮影が許されたとの指摘もある。[8]