安楽庵策伝
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天文23年(1554年)、誕生。美濃国の武将・金森定近の子といわれ、兄に金森長近などがいる。
幼いときに美濃国浄音寺で出家し、策堂文叔に師事した。その後、京都禅林寺(永観堂)に転じ智空甫叔に学んだ。天正年間(1573年-1592年)、中国地方に赴き備前国大雲寺などを創建したと伝えられる。慶長元年(1596年)、美濃浄音寺に戻り25世住持となる。慶長18年(1613年)に京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)となり、貴顕と交友を広げた。元和9年(1623年)、紫衣の勅許を得た後、塔頭竹林院に隠居し余生を送った。同所には茶室「安楽庵」(古田織部好み三畳台目茶室)を作っている。寛永19年(1642年)、死去。墓所は京都誓願寺[1]。
笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れていたが、京都所司代・板倉重宗の依頼で『醒睡笑』を著し、笑話集のさきがけとなった[4]。
策伝は天下一茶人・古田織部の高弟で、織部は策伝の甥・金森可重と特に親しかった。策伝は「安楽庵裂」という茶の湯の裂地を残している。
収集あるいは見聞した椿に付いての記録『百椿集』(1630年、寛永7年)を残している。策伝作の狂歌・俳諧も残る。
親王・五摂家・武士・文人の間に広く交流を持ち、特に松永貞徳や小堀遠州との交流が深かった。
