宮下朝陽
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プロ入り前
黒松内小2年から軟式チームで野球を始め、小学6年生の時に北海道日本ハムファイターズジュニア入りを果たした。黒松内中時代は余市シニアで全国を経験。
北海高等学校では主将と4番打者を務め、3年春の第93回選抜高等学校野球大会、夏の第103回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、いずれも初戦で阪上翔也擁する神戸国際大附に敗れた[2][3]。2学年先輩に辻本倫太郎、同学年に木村大成、大津綾也、工藤泰己、江口聡一郎がいた。
高校卒業後は東洋大学へ進学。当時2部リーグながら1年生から主力を務める[4]。2年時の2023年に日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された[5]。しかしながら2年秋からは不振に陥る[4]。3年夏にオーバーワークで右肘の軟骨が剥がれ、2024年7月にクリーニング手術を受け、秋の試合は全休した[6]。4年秋には本格的に回復し、1部リーグでの本塁打も記録している[4]。
2025年10月23日に開催されたドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから3位指名を受けた[7]。11月25日に契約金6000万円、年俸900万円で仮契約した(金額は推定)[1]。背番号は34[8]。
選手としての特徴
人物
憧れの野球選手は鈴木誠也で、球団の入団会見にて「1年目から一軍で定着できるように。鈴木誠也選手のようにメジャーで大暴れできるような右で大きいスケールを持てるように頑張りたいです」とコメントしている[14]。
小学生時代から、アイドルグループ・嵐のファンで、ハマったきっかけが母と姉がファンだったことから、自らもファンクラブにも入り、札幌ドームでコンサートが行われる際には毎年のように足を運んでいたという。北海道・黒松内町出身ながらシニアチームがなかった影響で、中学時代には余市町まで往復3時間近くかけて通い、親に送り迎えをしてもらっていた。その車内で流れていたのは、嵐のライブDVDで、「次の曲がわかるくらいまで見続けましたし、MCの話も完コピできるくらいまで見ていました」と話し、中でも好きなのは相葉雅紀で、2020年まで放送されていた人気テレビ番組『VS嵐』をこよなく愛し、「プロ野球選手になって有名になって出たかった。来年で(嵐の活動が)終わっちゃうんですけど、絶対に会いたいなというのが目標ではあります」と宣言した[14]。プロ入り後の打席ごとに流す登場曲にも嵐の楽曲を使用している。毎打席ごとに使用曲を変え、自身が推している楽曲よりも、ファンでなくても広く知られている楽曲を選出している[15]。
3学年下の弟も外野手として野球をプレーしており、兄を追うように弟も東洋大学に入学し、1年間、プレーを共にした[6]。