軍用機事故の一覧

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軍用機事故の一覧(ぐんようきじこのいちらん)では、軍用機平時の訓練や航空ショーなどで起こした航空事故について記述する。日本国内で発生した在日米軍進駐軍)による航空事故は、日本におけるアメリカ軍機事故の一覧を参照のこと。

凡例

  1. 事故発生日
  2. 所属
  3. 製造元と機種
  4. 犠牲者数
  5. 事故の状況
  6. 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク

1920年代

1921年

1922年

1925年

1930年代

1933年

1935年

  • 1935年2月26日
    • 所属:アメリカ海軍
    • 機種:グッドイヤー・ツェッペリン メイコン(硬式飛行船)
    • 死者:2人
    • 状況:破損した尾翼が未修復のままでの飛行中に乱気流に遭遇、尾翼が剥がれてガスが漏洩し、カリフォルニア州沖に着水・沈没した。
    • 詳細:「メイコン不時着事故」を参照。
  • 1935年4月7日

1937年

  • 1937年6月17日

1940年代

1945年

1946年

  • 1946年3月17日
    • 便名: 中華民国空軍
    • 機種: ダグラス DC-3
    • 死者: 20人、この中には戴笠が含まれている。
    • 状況: 青島から南京に向かっているところ、南京が悪天候となり上海へ向かおうとするものの、上海も悪天候となっていたために徐州へ向かおうとしたものの墜落する。
    • 詳細 : 「1946年中華民国空軍222号要人輸送機墜落事故中国語版」を参照

1948年

1950年代

1950年

1951年

  • 1951年3月23日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:ダグラス・エアクラフト C-124A-DL
    • 死者:53人
    • 状況:アイルランド沖で行方不明となる。のちに残骸が見つかり空中爆発と判明するがその原因は不明。
    • 詳細:「1951年大西洋C-124行方不明事件英語版」を参照。

1952年

1955年

1956年

  • 1956年8月16日
  • 1956年9月29日
  • 1956年9月30日
    • 所属:イギリス空軍第230機種転換部隊英語版
    • 機種:アブロ バルカン B1
    • 死者:4人
    • 状況:激しい雨の中、ヒースロー空港への着陸進入中、機体が滑走路の約3,000ft手前で接地し、制御不能に陥って墜落。操縦士2人が脱出に成功したが、他の乗員と同乗していたアブロ社の社員が死亡した[2]
    • 詳細:「1956年アブロバルカン墜落事故英語版」を参照。

1957年

1958年

1960年代

1960年

  • 1960年9月8日
    • 所属:不詳(横田基地所属)
    • 機種:ボーイング WB-50
    • 死者:11人
    • 状況:不明。
    • 詳細:WB-50は気象観測機である。何らかの理由で福島県石川町の山林に墜落[3]
  • 1960年12月17日

1961年

1962年

  • 1962年3月17日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ノースアメリカン F-86F×2
    • 死者:なし
    • 状況:築城基地から入間基地に向かっていた4機編隊が富士山山頂上空で猛烈な晴天乱気流に遭遇。急減速した衝撃のため、2機の着陸装置が燃料パイプが破壊、エンジンの再始動が不可能になった。そのため、2機の操縦士は機体の放棄を決定。被害が出ないところまで誘導したうえで操縦士が脱出することにした。1機は小田原郊外の石垣山の山林に墜落した。もう1機は海まで誘導したうえで脱出したが、その後機体が運悪く大きく旋回して陸地に戻り、国鉄東海道本線国府津駅近くの住宅地に墜落。民家など5棟を破壊し線路に残骸が散らばったが人的被害は出なかった。これ以後、富士山上空の山岳波の存在が注目されることになった。
  • 1962年9月3日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:ロッキード P-2V
    • 死者:13人
    • 状況:手術に必要な輸血用血液を空中投下するため災害派遣された鹿屋基地所属のP-2V対潜哨戒機が、空中投下のため低空飛行中に奄美市奄美実業高校のマツに左翼が接触。そのまま付近の住宅地に墜落した。乗員12人と地元住民1人の13人が死亡、全焼家屋31棟[4]。災害派遣史上最悪の事故。現在までの災害派遣での殉職者のうち、およそ1/4がこの事故による。

1963年

  • 1963年3月2日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ノースアメリカン F-86F
    • 死者:1人
    • 状況:新田原基地所属のF-86F戦闘機4機が宮崎県の勲八山上空を編隊飛行中にそのうちの1機の主翼が突然根元から折れ、そのまま山中に墜落して大破。乗員1人が死亡[5]
  • 1963年4月10日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ロッキード F-104J
    • 死者:1人
    • 状況:千歳基地所属のF-104J戦闘機1機が千歳基地を離陸直後に滑走路の南端約300mの畑に墜落。パイロットは即死した[6]

1964年

  • 1964年1月13日
  • 1964年5月11日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:ボーイング C-135
    • 死者:74人
    • 状況:ハワイよりフィリピンクラーク空軍基地へ向けて飛行していた米空軍のC-135輸送機がクラーク基地の滑走路手前800メートルに墜落。この事故で乗り組んでいた83人のうち73人と地上に居た住民1人の合計74人が死亡した[7]
  • 1964年5月19日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ノースアメリカン F-86
    • 死者:1人
    • 状況:松島基地所属航空自衛隊F-86戦闘機が岩手県にある月山の山腹に墜落。パイロットの遺体は墜落した機体の残骸の中から発見された[8]
  • 1964年8月21日午前10時頃
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:カーチス・ライト C-46
    • 死者:なし(重軽傷者2人)
    • 状況:岡山県岡山空港にて離着陸訓練を行っていた航空自衛隊のC-46輸送機が、その日3回目の同着陸への着陸を試みた際に主脚タイヤがパンク。これによりバランスを崩してそのまま滑走路から逸れ滑走路脇の草むらに突っ込んだ。機体停止後に右エンジンから火を噴き1時間半に渡って燃え続け機体は全焼。乗員4名はすぐさま避難したがうち2人が全治2ヶ月の火傷を負うなどした[9]
  • 1964年9月15日
  • 1964年11月30日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:カーチス・ライト C-46
    • 死者:なし
    • 状況:午前10時06分頃、美保基地所属のC-46輸送機が羽田空港のC滑走路へ着陸時に進入高度が低すぎたために滑走路手前のコンクリート防波堤に左車輪を接触。この衝撃で左車輪はもぎ取られてしまい輸送機はそのまま滑走路に胴体着陸して炎上。乗員12人は全員無事に避難したが機体はそのまま全焼した。この事故によりC滑走路は終日閉鎖された。
  • 1964年12月8日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:コンベア B-58A
    • 死者:1人
    • 状況:インディアナ州バンカーヒル(後のグリソム)基地の凍結した誘導路上で走路を逸れ降着装置を損壊し炎上。積まれていた5発の核弾頭も燃えたものの汚染は比較的小規模にとどまった。

1965年

1966年

  • 1966年1月17日
    • 所属:アメリカ空軍戦略航空軍団
    • 機種:ボーイング B-52Gボーイング KC-135A
    • 死者:4人(大規模な放射能汚染のため健康被害多数か)
    • 状況:空中給油中に爆撃機が接触したため空中給油機が墜落、爆撃機は降下する際に水爆3発をスペインのパロマレス近くの地上に落下させ、1発を地中海に落下させてしまった。地上に落下した水爆2発の爆縮用通常火薬が爆発し放射能物質を撒き散らした。
    • 詳細:「パロマレス米軍機墜落事故」を参照。
  • 1966年6月8日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:ロッキード F-104Nノースアメリカン XB-70
    • 死者:2人
    • 状況:エドワーズ空軍基地近辺でゼネラルエレクトリック製エンジン搭載の軍用機を集めて同社の宣伝用フィルムを撮影する編隊飛行が行われていたが、撮影終了後にF-104戦闘機がXB-70試作戦略爆撃機の垂直尾翼に激突。F-104は空中爆発し、XB-70も操縦不能に陥り墜落。戦闘機と爆撃機のパイロット2人が死亡した。唯一、XB-70の機長だけが脱出カプセルで生還した。
  • 1966年6月29日

1967年

1968年

1969年

  • 1969年2月8日
  • 1969年11月11日
    • 所属:韓国陸軍 駐越司令部
    • 機種:ビーチクラフト U-21(ヘリとも)
    • 死者:8人
    • 状況:11日朝9時半頃、駐越司令部の高級幕僚を乗せサイゴンのタンソンヌート空港を出発しキノンに向かっていた輸送機が、下層雲のためボンチャウ山(海抜5百m)に衝突、金晶煥准将ら搭乗者全員が死亡。機体は李世鎬駐越司令官の専用機であったが李大将は難を逃れた[12]
  • 1969年12月15日

1970年代

1970年

1971年

  • 1971年7月16日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:ロッキード P2V-7
    • 死者:11名
    • 状況:早朝濃霧の中、下総航空基地に着陸しようとした航法訓練中の対潜哨戒機が滑走路から400m離れた民家近くの松の木に接触し右翼の予備燃料タンクが落下した。そのため、着陸を中止しパイロットが「操縦がやや困難なのでバランスをとるために左予備タンクを海上に落としたい」と連絡、海上に向かったが犬吠埼南西20km沖合いに墜落した。回収されたボイスレコーダーの解析から、機体制御を喪失して墜落したとされた。

1972年

  • 1972年7月20日
  • 1972年7月26日
  •  1972年9月24日
    • 所属:スペクトラム・エア
    • 機種:カナディア セイバー Mk5
    • 死者:22名(地上)
    • 状況:カリフォルニア州サクラメントエグゼクティブ空港英語版で開催された航空ショーでセイバーが離陸に失敗し、空港向かいにあったアイスクリームパーラーに突入。パイロットは生き延びたものの、店内にいた22名(内12名は子供)が死亡した。

1973年

  • 1973年4月11日
  • 1973年4月12日
  • 1973年4月17日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:ロッキード P2V-7
    • 死者:8名
    • 状況:硫黄島に着陸のため進入中に同島の東方約4海里で消息不明になった。
  • 1973年5月1日
    • 所属:航空自衛隊百里基地臨時F-4EJ飛行隊
    • 機種:F-4EJ
    • 死者:なし
    • 状況:百里基地北東約90kmの海上で、空中戦闘訓練中だった2機のF-4EJが空中で接触し、うち1機が墜落。墜落機の乗員は脱出に成功、もう1機は基地への帰投に成功した[17]
  • 1973年6月23日

1974年

  • 1974年7月8日
    • 所属:航空自衛隊 第三航空団第8航空隊
    • 機種:三菱F-86 Sabre
    • 死者:4名
    • 状況:愛知県の小牧基地を離陸直後、小牧市西之島の国道155号線交差点付近の農家宅に墜落、地面をバウンドしながら滑走したのち炎上。乗員1名と住民3名が死亡、2人が重軽傷を負う。[18]
  • 1974年8月27日
    • 所属:航空自衛隊第5航空団
    • 機種:ロッキード F-104J
    • 死者:0人
    • 状況:第5航空団所属の F-104J戦闘機が離陸後まもなく、高度5000m付近でフレームアウトを起こした。再起動を試みるも作動しなかったためパイロットは脱出、機体はそのまま宮崎県須木村の宮崎県道143号中河間多良木線に墜落、付近の民家3軒が全焼した。住民は直後に逃げ出して無事。日本に導入された F-104Jのうち20機目の墜落事例となった[19]

1975年

  • 1975年1月16日
    • 所属:陸上自衛隊中部方面隊
    • 機種:セスナ L-19
    • 死者:なし、重傷2人
    • 状況:防府基地を出発して八尾基地を向け徳島県内を飛行中、濃霧に遭遇したため高度を下げたところ尾翼が高圧線か樹木に接触して失速。そのまま高度を上げられないまま池田町沼谷地内の水田へ墜落した。機体は真っ二つになったが、重傷を負った乗員2人は救出された[20]

1976年

  • 1976年9月27日
    • 所属:航空自衛隊第二航空団(F-104)および第81飛行隊(T-33)
    • 機種:ロッキード F-104J、ロッキード T-33
    • 状況:八戸市沖合で空戦訓練中に2機が空中で接触、両機が墜落した。1人救助、2人行方不明[21]
  • 1976年10月25日
  • 1976年11月17日

1977年

  • 1977年4月6日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:新明和工業 PS-1
    • 死者:1名
    • 状況:岩国基地の南2キロの沖合で着水に失敗し、機体が二つに折れ沈没。
  • 1977年5月27日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:富士重工業 KM-2×2
    • 死者:1名
    • 状況:小月教育航空群所属の6258号機と6265号機が編隊飛行中に空中接触し、65号機は不時着、58号機は墜落。

1978年

  • 1978年1月10日
    • 所属:ソビエト連邦海軍航空隊英語版
    • 機種:ツポレフ Tu-95RS
    • 死者:10名
    • 状況:西太平洋上を任務飛行中に墜落。
  • 1978年5月17日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:新明和工業 PS-1
    • 死者:13名
    • 状況:対潜哨戒機が訓練飛行中、高知県内の山林に墜落。
  • 1978年9月8日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ロッキード T-33
    • 死者:2名
    • 状況:入間基地を離陸直後、機首にある機銃格納庫扉が突如開放。緊急着陸のため入間基地に引き返す途中でエンジン停止し、狭山市上奥宮に墜落。民家1軒が全焼、アパート1棟が半焼した。2人の航空自衛官は脱出できず殉職した。住民の被害はなかった。
  • 1978年10月
    • 所属:アメリカ海軍
    • 機種:ロッキード P-3
    • 死者:2名。行方不明3名
    • 状況:横田基地を飛び立ったP-3対潜哨戒機がアリューシャン列島で墜落。乗員15名のうち10名はソ連の漁船に救助された。残り5名については2名が遺体で発見されたが3名は行方不明のままとなった。

1979年

  • 1979年3月14日
  • 1979年7月21日
    • 所属: フィリピン航空飛行学校訓練機
    • 機種: セスナ(機種不明)
    • 死者: 乗員2人死亡。
    • 詳細: ルソン島沖合で訓練中にアメリカ空軍の戦闘機(F-4)に煽られ、左翼が折れて海中に墜落。米比間の国際問題に発展した[24]
  • 1979年9月21日
    • 所属: イギリス空軍
    • 機種: ホーカー・シドレー ハリアー
    • 死者: 2人死亡、8人負傷。
    • 詳細: イギリスケンブリッジシャー上空で訓練中の2機が空中衝突して墜落。それぞれの乗員2人は脱出に成功したが、機体の一つが住宅地に墜落して民家3軒を巻き込み、住民らが犠牲となった[25]

1980年代

1980年

  • 1980年7月27日
    • 所属:ソビエト連邦海軍航空隊英語版
    • 機種:ツポレフ Tu-16R
    • 死者:7名
    • 状況:日本海を偵察飛行中、佐渡島北方110キロメートルの地点に墜落。近くを航行していた海上自衛隊輸送艦「ねむろ」(LST-4103)が乗員3人の遺体を収容。

1981年

  • 1981年3月3日
    • 所属:陸上自衛隊 西部方面ヘリコプター隊
    • 機種:HU-1
    • 死者:3名
    • 状況:福岡県飯塚市での体験搭乗を終えて佐賀県の目達原駐屯地に帰投中、濃霧の中筑紫野市内の山中に墜落し、乗員3名全員が死亡した[26]
  • 1981年8月10日
    • 所属:陸上自衛隊航空学校 宇都宮分校
    • 機種:三菱重工 LR-1
    • 死者:5名
    • 状況:航法訓練から帰投して宇都宮飛行場へ着陸寸前に、左エンジンで故障が発生。着陸を試みるが一度目は失敗し、二度目を試みるべく旋回中に失速墜落。乗員6名のうち5名が死亡、1名が重症を負った[27]
  • 1981年8月11日
  • 1981年9月5日

1982年

  • 1982年11月14日
  • 1982年12月15日
    • 所属:アメリカ空軍 第8戦術戦闘航空団 第35戦術戦闘飛行隊
    • 機種:ジェネラル・ダイナミクス F-16A
    • 死者:なし
    • 状況:黄海、韓国西海岸沖でのアメリカ海兵隊所属のF-4とのDACT(異機種間戦闘訓練)において、互いにマッハ1の速度で正面から交錯した際、F-4の右主翼がF-16の胴体部分に接触したことで、同機エンジンのギアボックスが損傷。F-16は回復できず乗員は緊急脱出した。[30]

1983年

1984年

  • 1984年2月27日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:新明和工業 PS-1
    • 死者:12名
    • 状況:岩国基地所属のPS-1対潜哨戒機が訓練飛行中、旋回飛行中に高度が下がりすぎて伊予灘に墜落。
  • 1984年4月20日

1985年

  • 1985年2月14日
    • 所属:ソビエト連邦海軍航空隊
    • 機種:ツポレフ Tu-95RU
    • 死者:9名
    • 状況:南シナ海を飛行中に墜落。

1988年

1989年

1990年代

1990年

  • 1990年2月17日
    • 所属:陸上自衛隊
    • 機種:三菱重工業 LR-1
    • 死者:4名
    • 詳細:宮古島へ急患輸送任務(災害派遣)で向かっていたLR-1が海上に墜落し、乗員3名と添乗医師1名が死亡した。

1991年

  • 1991年2月6日
  • 1991年3月12日
    • 所属:アメリカ海軍
    • 機種:ロッキード P-3
    • 死者:27名
    • 詳細:2機がサンディエゴ近郊を哨戒中に空中衝突した。
  • 1991年7月1日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:川崎重工業 T-4
    • 死者:2名
    • 詳細:三沢基地所属のT-4が、訓練前の天候偵察中に墜落。後日、機体をサルベージした事でピトー管の製作不良を発見。
  • 1991年7月4日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:三菱重工業 T-2
    • 死者:2名
    • 詳細:松島基地所属の戦技研究班ブルーインパルスが金華山沖でアクロ訓練中、2番機と4番機が墜落。海霧が低く広がっていたことから、海霧によって水平感覚が低下してしまう空間識失調が原因ではないかと考えられ、その後の事故対策として1番機に編隊長資格のある乗員を後席に同乗させるようになった。

1992年

  • 1992年2月14日
    • 所属:韓国陸軍
    • 機種:UH-1H
    • 死者:7名
    • 状況:第7機動軍団幹部を乗せて京畿道を発した第3183部隊204航空隊所属のヘリが慶尚北道慶山市瓦村面上岩里山中(標高4500メートル)に墜落、10名のうち、軍団長の李賢夫中将を始め、作戦参謀の許正奉大佐、軍需参謀の李元一大佐ら7名が死亡。事故直前、尾翼の一部が分解する姿が目撃されており、整備不良と見られる[31]
  • 1992年3月31日
  • 1992年12月10日

1993年

1994年

  • 1994年3月23日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:ジェネラル・ダイナミクス F-16D、ロッキード C-130E、ロッキードC-141B
    • 死者:24名(地上)
    • 状況:ノースカロライナ州ポープ空軍基地英語版で、フレームアウト訓練中だったF-16が滑走路23に最終進入していたC-130の右昇降舵を切断する形で空中衝突。F-16の乗員は緊急脱出を行い、C-130も点検後に着陸に成功したため両機の搭乗者は全員無事だったものの、墜落したF-16が横滑りする形で地上に駐機していたC-141および第82空挺師団の隊員の待機場所(通称・グリーンランプ)に突入。多数の死傷者を出した。この事故は第二次世界大戦以降、同師団が平時に被った人命損失として、現在でも最悪の数字を記録し続けている。
    • 詳細:「1994年ポープ基地多重衝突事故英語版」を参照。
  • 1994年6月2日
  • 1994年6月24日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:ボーイング B-52H
    • 死者:4名
    • 状況:ワシントン州フェアチャイルド空軍基地英語版でデモ飛行中のB-52(シリアルナンバー:61-0026)が、突如失速し90度傾いた上で左翼から地上に激突し爆発炎上した。事故原因はB-52を操縦していた機長が急旋回の為に無茶な飛行を強いたためであった。この機長は以前から無茶な飛行をしていた要注意人物であったが空軍では技量を買っていたため一切不問にしてきたことが世論から非難された。また事故機に搭乗していた士官の1人が墜落前にパラシュートで脱出したが、彼も爆発に巻き込まれ殉職した。
    • 詳細: 「1994年のフェアチャイルド空軍基地でのB-52機の墜落事故」を参照。
    • 事故の瞬間の映像:undefined
  • 1994年10月19日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:三菱重工業 MU-2S
    • 死者:4名
    • 状況:秋田分屯基地所属の救難隊機が遠州灘で整備試験飛行中に墜落した。
  • 1994年12月2日

1995年

  • 1995年2月21日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:新明和工業 US-1A
    • 死者:乗組員12人中11人が死亡
    • 状況:豊後水道上空を飛行中の9080号機が墜落。
  • 1995年6月6日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:シコルスキー・エアクラフト MH-53E
    • 死者:8名
    • 状況:相模湾で掃海訓練中の8626号機が着水、炎上、水没[32]
  • 1995年7月4日
    • 所属:海上自衛隊
    • 機種:三菱重工業・シコルスキー・エアクラフト SH-60J
    • 死者:1名
    • 状況:護衛艦しらゆき搭載機が、北海道襟裳岬北東4浬の海上でソナーケーブルが不時に巻き出し、接水横転し水没。
  • 1995年9月22日
  • 1995年11月22日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:マクドネル・ダグラス F-15J
    • 死者:なし
    • 状況:航空自衛隊小松基地所属のF-15戦闘機が、訓練中にミサイルを誤射して僚機を撃墜、パイロットは脱出して無事であった。訓練中とはいえ、F-15が航空機によって撃墜された世界初の事例となった。
    • 詳細:「F-15僚機撃墜事故」を参照。

1996年

1997年

  • 1997年2月9日
  • 1997年8月21日
    • 所属:陸上自衛隊 第1ヘリコプター団 第2ヘリコプター隊
    • 機種:ヒューズ・ヘリコプターズ OH-6D
    • 死者:3名
    • 状況:演習場へ移動のため木更津飛行場から八戸飛行場へ向け飛行中、茨城県竜ヶ崎市長山の蛇沼付近で民間の軽飛行機と空中衝突し、OH-6に搭乗していた2名と軽飛行機の1名全員が死亡した[35]

1998年

  • 1998年2月3日
    • 所属:アメリカ海兵隊
    • 機種:グラマン EA-6B
    • 死者:地上の20人が死亡
    • 状況:イタリア国内で訓練飛行中のアメリカ海兵隊のEA-6Bが山岳地帯を超低空飛行をしていたところ、カバレーゼ近郊にあるスキー場ロープウェイのケーブルを切断。運行中のロープウェイのゴンドラ1台が100m下に落下し、乗っていた乗客20人全員が即死した。事故原因は地上150mの飛行禁止の軍規に違反して地上80m上空を飛行していた海兵隊機の過失であった。そのうえ乗員の撮影していた映像を上官が破棄して証拠隠滅を図っていたことも判明した。海兵隊はイタリア当局の身柄引き渡し請求を拒否し、自軍の軍法会議で処分し無罪とされた。
    • 詳細:「チェルミス・ロープウェイ切断事件」を参照。
  • 1998年5月25日
  • 1998年7月13日
  • 1998年7月21日
    • 所属:海上自衛隊教育航空集団第211教育航空隊
    • 機種:ヒューズ・川崎重工業 OH-6D
    • 死者:なし
    • 状況:鹿屋航空基地で高度約2mでのホバータキシー訓練中に横転し、乗員2名のうち1名が軽傷を負った[38]
  • 1998年8月20日
    • 所属:アメリカ海兵隊
    • 機種:マクドネル・ダグラス F/A-18
    • 死者:1名
    • 状況:オーストラリアティンダル空軍基地英語版の南約110kmにある射爆場で訓練中に墜落し、乗員1名が死亡した[39]
  • 1998年8月25日
  • 1998年9月4日
    • 所属:アメリカ空軍
    • 機種:シコルスキー・エアクラフト HH-60G
    • 死者:12名
    • 状況:ネバダ州で夜間訓練飛行中、2機のHH-60Gが空中衝突し、ラスベガスの北西約70kmの山腹に墜落した。空中衝突した双方の乗員計12名が死亡した[39]
  • 1998年10月9日

1999年

  • 1999年1月27日
    • 所属:ドイツ空軍第38戦闘爆撃航空団
    • 機種:パナヴィア・エアクラフト英語版 トーネード IDS
    • 死者:なし(2名行方不明)
    • 状況:訓練飛行中にノルダーナイ島北方30キロの北海上空で空中衝突して墜落した。1機の乗員2名は救助されたが、もう1機の乗員が行方不明になった[43]
  • 1999年3月2日
    • 所属:ロシア軍
    • 機種:M・L・ミーリ記念モスクワ・ヘリコプター工場 Mi-8
    • 死者:18名
    • 状況:タジキスタンを飛行中に墜落。タジキスタン駐在のロシア国境軍参謀長を含む、乗員18名全員が死亡した[44]
  • 1999年3月3日
    • 所属:ロシア軍
    • 機種:M・L・ミーリ記念モスクワ・ヘリコプター工場 Mi-24
    • 死者:3名
    • 状況:ダゲスタン共和国で墜落し、乗員3名全員が死亡した[44]
  • 1999年3月7日
    • 所属:インド空軍
    • 機種:O・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体 An-32
    • 死者:18名(地上の民間人3名)
    • 状況:インディラ・ガンディー国際空港に着陸しようとしたAn-32が、滑走路から約2キロ離れた住宅地区に墜落。乗員18名全員と墜落現場の建設中の貯水施設付近にいた住民3名が巻き添えで死亡した。事故当時、空港周辺は濃霧に覆われていた[45]
  • 1999年3月26日
    • 所属:アメリカ空軍第56戦闘航空団英語版
    • 機種:ジェネラル・ダイナミクス F-16C
    • 死者:なし
    • 状況:訓練飛行中に墜落。乗員は緊急脱出して無事だった[46]
  • 1999年3月28日
  • 1999年6月11日
    • 所属:イギリス空軍
    • 機種:ロッキード C-130
    • 死者:なし
    • 状況:アルバニア北部のクカス空港英語版への着陸に失敗し、爆発炎上。操縦士が重傷を負い、搭乗員は自力で脱出した[47]
  • 1999年6月12日
  • 1999年6月15日
    • 所属:アメリカ海軍第154戦闘飛行隊英語版
    • 機種:グラマン F-14A
    • 死者:なし
    • 状況:ペルシャ湾で飛行訓練中にエンジントラブルで墜落。乗員2名は緊急脱出して救助された[49]
  • 1999年6月23日
  • 1999年6月30日
  • 1999年7月30日
  • 1999年8月15日
  • 1999年9月24日
  • 1999年10月12日
  • 1999年10月12日
  • 1999年10月14日
  • 1999年10月15日
  • 1999年10月21日
    • 所属:コロンビア空軍第212戦闘飛行隊
    • 機種:ダッソー ミラージュ5
    • 死者:なし
    • 状況:訓練飛行中にマグダレナ渓谷で墜落。乗員は緊急脱出して無事だった[53]
  • 1999年10月28日
  • 1999年11月22日
    • 所属:航空自衛隊
    • 機種:ロッキード T-33A
    • 死者:2名
    • 状況:入間基地に所属するT-33Aが事故に遭遇。機体が狭山市内の入間川河川敷に墜落する際、送電線を切断したために埼玉県南部及び東京都西部を中心とする約80万世帯が停電、並びに信号機及び鉄道が停止した。エンジントラブルを起こした機体の住宅地への墜落を避けるため、2名の乗員は脱出せず操縦を続行、民家に被害が及ばないことが確実になった段階で、射出座席を作動させたが間に合わず、乗員2名は殉職した。
    • 詳細:「T-33A入間川墜落事故」を参照。

2000年代

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

  • 2005年1月29日
  • 2005年4月14日
  • 2005年9月6日
    • 所属:航空自衛隊第2航空団第203飛行隊
    • 機種:マクドネル・ダグラス三菱重工業 F-15J
    • 死者:なし
    • 状況:北海道積丹半島沖の日本海上空訓練空域で対戦闘機訓練中、2機のF-15Jが空中接触。1機は右水平尾翼の一部と胴体下増槽前方を破損、もう1機はキャノピーと左垂直尾翼を破損した[91]
    • 原因:訓練中に2番機の乗員が編隊飛行隊形保持に関する注意配分が不適切となり、1番機との間隔を誤認、その後の回避行動が不適切となったため空中接触に至った[92]
  • 2005年9月18日
    • 所属:陸上自衛隊西部方面航空隊第3対戦車ヘリコプター隊
    • 機種:ベル・エアクラフト富士重工業 AH-1S
    • 死者:なし
    • 状況:相浦駐屯地創立50周年記念式典「西海ふれあいフェスタ2005」での模擬戦闘訓練展示中、低空で右旋回した際にローターブレードが地面に接触して墜落。乗員は無事で会場で見学していた観客にもケガはなかった[90]
    • 原因:副操縦士が旋回時のバンク角を過大に設定し過ぎたため、旋回時における高度計や機外状況に対する注意分配不良が高度低下認知と高度保持の回復操作を遅らせたことが主因[92]
  • 2005年11月21日

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脚注

関連項目

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