寺嶋拓夫

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生誕 (1941-03-01) 1941年3月1日(84歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県
寺嶋 拓夫
Takuo TERASHIMA
基本情報
生誕 (1941-03-01) 1941年3月1日(84歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県
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寺嶋 拓夫(てらしま たくお、1941年3月1日 - )は、三重県出身のプロゴルファー

弟の誠志もプロゴルファー[1]

1962年にプロ入り[2]

1966年には同年から現名称になり、和合開催が定着した中日クラウンズに出場し、初日第1ラウンドで69、第2ラウンドで68をマークして、松田司郎杉原輝雄林由郎佐藤精一と並んでの9位タイに入った[3]

1968年の西日本サーキットBSシリーズでは村上隆と並んでの9位タイ[4]1971年の第1回中部オープンでは内田繁の2位[5]に入った。

1969年読売国際オープンではG.ウォルス・テンフォルムイングランド)、杉原に次ぐ3位に入った[6]

1975年の中部オープンでは初日を加藤辰芳野口英雄と共に鈴村照男から2打差2位タイでスタートした[7]

1978年三菱ギャランでは2日目に68をマークし、謝永郁中華民国)、ピーター・トムソンオーストラリア)、宮本康弘と並んでの8位タイに着けた[8]

1983年の中部オープンでは初日を中村忠夫豊田明夫と並んでの3位タイでスタートした[9]

1985年には関西プロでは初日に前田新作松井一石井裕士鈴木規夫陳健振(中華民国)と共に3アンダー69をマークして8位タイ[10]でスタートし、最終日には山本善隆と並んでの9位タイ[11] [12]に入った。

1987年の中部オープンでは初日に高阪喜久と共に5アンダー67をマークして首位タイ[13]でスタートし、2日目には鈴村照男伊藤正己時田陽充中村彰男・中村忠と並んでの7位タイ[14]に着けた。

1988年の中部オープンでは上西博昭と並んでの10位タイ[15]1989年の同大会では9位[16]に入り、1990年東海クラシック[17]を最後にレギュラーツアーから引退。

1992年は関西プロシニアで上田鉄弘と並んでの10位タイ[18]、TPCスターツシニアで内田・鈴村照、ビル・ダンクオーストラリア)と並んでの7位タイ[19]、アイスターカップ'92で戸川一郎と並んでの10位タイ[20]、'92スポーツ振興カップで榎本七郎野辺地純・ダンクと並んでの10位タイ[21]に入った。

1995年の旭国際ヴィンテージでは内田・河野光隆と並んでの10位タイ[22]1996年コマツ名古屋テレビオープンでは菊地勝司松本紀彦と並んでの8位タイ[23]に入り、2003年の関西プログランドシニアでは寺本一郎・鈴村照・古市忠夫鈴村久・石井裕・橘田光弘・上田・陳健を抑えて優勝[24]

地元の三重県オープンでは出口栄太郎と共に兄弟で第1回からの連続出場を果たす[25]

主な優勝

脚注

外部リンク

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