尹吉鉉
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2008年の尹吉鉉 | |
| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 大邱広域市 |
| 生年月日 | 1983年9月23日(42歳) |
| 身長 体重 |
184 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手、一塁手(以前) |
| プロ入り | 2002年 2次ドラフト1巡目 |
| 初出場 |
2002年4月12日 (光州無等総合競技場野球場) |
| 最終出場 |
2019年5月3日 (社稷野球場) |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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SK時代
大邱高等学校を卒業した後に2002年に2次ラウンドで指名されて入団し、デビュー初試合で新人先発勝利を収めた。
1年目は先発陣の一人となったが結果を残せず2年目以降は中継ぎに転向。
2008年6月15日のKIAタイガース戦において、起亜が6点リードで迎えた6回に1塁走者の李在珠が盗塁をしたところ、「大量得点差で盗塁をした」という理由で打者の崔景煥に故意死球を与えようとした。当たることはなかったが、崔景煥がこれを威嚇行為とみなして激しく怒り乱闘騒ぎになった。結果的に彼と崔景煥と蔡鍾範が退場になり、翌日には二軍に格下げになった。
2009年シーズンでは6月25日の起亜タイガース戦では延長から人生初の一塁手としての出場をした。しかしその後投手が足りなくなり12回から内野手の崔廷が登板、最終的には崔廷の暴投で試合に敗れた。シーズン終了から兵役に服務。
2010年より尚武に所属していたが、ひじを痛め2011年シーズン途中に他の部隊に転属され、除隊された。
2012年よりSKに復帰。
2015年シーズン後FA資格を得た。所属チームとの優先交渉は決裂し、他球団移籍を選んだ。
ロッテ時代
同年11月29日4年総額38億(契約金18億ウォン、年俸5億ウォン)の大型契約でロッテ・ジャイアンツに移籍[2]。彼の補償選手には金承會が選ばれた。
ロッテでは必勝組の勧誘をされたが、低迷する姿をたくさん見せた。
2019年の契約満了とともに戦力外になりロッテを退団。
その後は事実上の引退状態。