金承會
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | ソウル特別市 |
| 生年月日 | 1981年2月11日(44歳) |
| 身長 体重 |
180 cm 88 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2003年 2次ドラフト5巡目 |
| 初出場 | KBO/ 2003年5月8日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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| キム・スンフェ | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 김 승회 |
| 漢字: | 金 承會 |
| 発音: | キム・スメ |
| 日本語読み: | きん しょうかい |
| 英語表記: | Kim Seung-Hoi |
金 承會(キム・スンフェ、韓国語:김 승회、1981年2月11日 - )は、大韓民国のソウル特別市出身のプロ野球選手(投手)。本貫は旧安東金氏[1]。
第一次斗山時代
2003年に斗山ベアーズの2次5ラウンド指名を受けて入団した。
2007年までは速球を武器にするリリーフ要員として良い活躍をしたが、2008年から2009年までの公益勤務要員服務後には変化球を多用する技巧派に投球スタイルを大きく変えた。
2010年5月19日には11回裏に打者として出場した。結果はノーアウトランナーなしから梁訓の前に空振り三振。
2011年には先発投手としての可能性を見せた。 そして翌年である2012年には自身初となるに100イニング以上を投げて6勝7敗、4点台の平均自責点を記録して先発陣の一つの軸を構成した。
だが同年オフに洪性炘がFA権を行使して斗山に復帰すると、金承會は彼の補償選手としてロッテ・ジャイアンツに移籍することになった[2]。
ロッテ時代
一時は金成培から抑え投手を奪うなどしたがしばらく不安定投球が続いたため2015年は先発と中継ぎを行き来することとなった。同年の最終成績は39試合に出場して6点台平均自責点、7勝3敗、2セーブ、2ホールドを記録した。
さらに同年オフに尹吉鉉がFA権を行使してロッテに移籍すると、彼の補償選手としてSKワイバーンズに移籍した。
SK時代
しかし2016年の移籍後は金用煕監督がシーズン序盤に辛抱強く起用を続けたものの全く戦力にならず、シーズン終了を待たずして同年7月6日に解雇されてしまった。また、2度の人的補償で3球団に在籍した最初の選手でもある(林勳も2012年に林炅玩・鄭大炫の人的補償で2度移籍しているが、2回目の移籍は古巣であるSKへの復帰だった)。
第二次斗山時代
放出後のオフ、5年ぶりに古巣である斗山に復帰することが決まった。この時本人は「斗山に復帰できて嬉しい。」と語った。同年は自己最多となる69試合に登板した。
2017年にFAを行使し2年3億ウォンの契約で斗山に残留した[3]。残留後も先発と中継ぎでの併用が続いている。
2019年は先発ローテーションを後輩に譲り、もっぱら中継ぎとしての役割に専念するようになった。しかし結果だけ見ると同年は55試合に登板し3点台平均自責点、3勝3敗、3セーブ7ホールドとなり例年通りの成績だった。