岩田将貴
日本の野球選手(1998-)
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経歴
プロ入り前
福岡市立吉塚小学校1年で「吉塚クリッパーズ」に入団しソフトボールを始める[2]。福岡市立吉塚中学校時代に「福岡ボーイズ」で硬式野球に転向[3]。3年時には野茂英雄率いるジュニア選抜チーム「NOMOジャパン」に選出された[4]。NOMOジャパンの同期に高山優希、藤嶋健人がいる。
九産大九州高校では1年夏からベンチ入りすると[5]、2年春には第87回選抜高等学校野球大会に出場。初戦の近江高校戦に先発し、8回2失点と好投するも、敗戦投手となった[6]。2年夏は福岡大会3回戦の福岡大大濠高校戦で浜地真澄に本塁打を打たれるなど2失点、チームは浜地の前に3安打完封負けを喫し、敗退した[7][8]。3年夏は福岡大会4回戦で八女工業高校に敗れた[2]。
九州産業大学に進学すると、1年春からリーグ戦に登板[5]。2年春に防御率1.44[9]、リーグ最多の7勝を挙げMVPを獲得した[5]。しかし、同リーグ戦で左肘を痛め、同年の全日本大学野球選手権にも出場するが状態は上がらず、8月に左肘の遊離軟骨除去手術を受けた[9]。3年春のリーグ戦で復帰するが[9]、同年8月に2度目の手術となる左肘のトミー・ジョン手術を受けた[10]。4年秋からリーグ戦に復帰し、10月24日の九州共立大学戦では2番手で登板すると、2回2/3を無安打無失点に抑えて優勝を決め、胴上げ投手となった[11]。九州大学野球選手権では決勝の日本文理大学戦で7回一死二塁から登板して後続2人を抑え、チームは2-1で優勝を決めた[12]。3学年上に井手亮太郎、1学年上に福森耀真、石田駿がいる。
2020年10月26日に行われたドラフト会議では、阪神タイガースから育成1位指名を受け[13]、支度金200万円、年俸300万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した[14]。背番号は122[15]。この年まで、アマスカウトとして九州地区を10年間担当してきた田中秀太が、スカウティングや入団交渉を最後に手掛けた選手でもある[16]。
阪神時代

(2022年7月2日 阪神甲子園球場)
2021年は、プロ入り前のトミー・ジョン手術の影響で、ウエスタン・リーグでの初登板は7月14日まで遅れることになった[17]。結果、二軍で8試合の登板にとどまったが、2勝0敗、防御率2.70の成績を残した[18]。
2022年は、オープン戦から一軍に帯同し、5試合に登板して防御率2.08を記録した[19]。開幕前の支配下登録は叶わなかったが、7月25日までにウエスタン・リーグで30試合に登板[19]。6月25日の対広島東洋カープ戦から10試合連続無失点の好投をみせるなど2勝1敗、防御率2.08の成績を残し、同日に支配下選手登録されることが発表された[20][19]。背番号は93[19]。最終的に二軍では41試合に登板し、4勝1敗、防御率1.97の好成績を残しながら、一軍での登板機会はないままシーズンを終えた[21]。
2023年は二軍でチームトップの44試合に登板するも、防御率4.85[22]と結果を残せず、一軍登板を果たすことはできなかった[23]。秋季キャンプでは腰の張りを訴え、途中離脱した[24]。
2024年は二軍で前年を上回る46試合に登板し防御率2.11という成績であったが、一軍登板はなかった[25]。10月1日に戦力外通告を受けた[25][26]。
DeNA時代
2024年11月16日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表した[27]。背番号は68[27][28]。
2025年は、6月15日までに二軍で20試合に登板して防御率4.67ながら、同じく左腕投手の坂本裕哉との入れ替えで、移籍後初めて出場選手登録された[29]。20日の対千葉ロッテマリーンズ戦(横浜スタジアム)、9回の1死満塁の場面で4番手として一軍初登板をするも、1死をとったあとに死球と四球で2者連続押し出しにしてしまい、イニング途中で降板するというデビュー内容だった[30]。3登板目の7月4日の古巣・阪神戦では1死もとれずに6球で2失点を喫し、9日に登録を抹消された[31]。以降は一軍登録なく、一軍戦はこの3試合の登板にとどまるも、二軍では42試合の登板で2勝1敗1セーブ、防御率3.46の成績で[32]、左打者の被打率を.181に抑えるなど持ち味を発揮していた[33]。11月8日、現状維持の推定年俸560万円で来季の契約を結んだ[34]。
2026年も開幕を二軍で迎えたが、二軍戦15試合の登板で防御率0.77と安定感を示し、5月8日に出場選手登録された[35]。同日の対阪神戦(阪神甲子園球場)で、大量リードの9回に登板し、かつての本拠地・甲子園球場での一軍戦初登板を経験。1安打を許しながらも、阪神同期入団の髙寺望夢から空振り三振を奪うなど、1回を無失点で試合を締めた[36][37]。ビハインドの場面での起用が多いながらも、課題としていた右打者も抑えたり、イニングまたぎを任されたりなど、相手の打線を流れを食い止める火消しの投球を続け[38][39]、監督の相川亮二から「ゲームチェンジャー」と頼られるようになる[40]。7月10日の読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)では、初回に満塁本塁打を浴びて3回で早期降板した先発・尾形崇斗の後を受け、2番手で2回無失点の好救援を見せると、その後のチームの逆転勝利を呼び込み、移籍後初のヒーローインタビューを受けた[39][41]。同月14日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では味方が逆転した直後の5回から2番手として登板し、1回無失点で抑えると、以降の回の救援投手も得点を与えずにチームが勝利したため、岩田が自身初の勝利投手となった[40]。しかし、同月下旬に2試合連続で失点を喫すると、8月2日に登録を抹消された[42]。
選手としての特徴・人物
独特の投法で知られる[43]。背中をひねった後に、右足を内側へ大きく踏み出すインステップのトルネード投法を彷彿とさせる変則サイドスロー[5][13][38][44]から、最速139km/hのストレートとスライダー[3][45]、ツーシーム[38]を投げ分ける。スライダーは阪神からの育成ドラフト指名後の会見時に、7種類あると豪語していた[3][45]。その特性上、対左打者用の起用が多く、左打者の内角を厳しく突くストレートと逃げるスライダーで手玉に取る投球スタイル[46][47]。中学1年生のころから続くフォームで、元々は当時ソフトバンクのセットアッパーだった森福允彦をまねたもの[38][46]。本人によれば、2013年にボーイズリーグ日本選抜チームの一員としてロサンゼルスへ遠征した際に、チームの代表だった野茂英雄から投球フォームに関するアドバイスを直々に受けたという[44]。その変則投法は野球解説者の高木豊からも「あそこまでクロスステップしてくるピッチャーはなかなかいない」と評されているが、コントロールは大雑把だといわれている[48]。
プロ入り後は「ガンツ」の愛称で親しまれている[49]。
阪神時代の同僚である湯浅京己とは親友[49]。高校2年夏の福岡大会で投げ合った同学年の浜地真澄とは阪神でチームメイトになったほか、2024年オフ、同じタイミングでDeNAへ移籍することになった[8]。
詳細情報
年度別投手成績
- 2025年度シーズン終了時
年度別守備成績
- 2025年度シーズン終了時
記録
- 初記録