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島田陽子

日本の女優 (1953−2022) From Wikipedia, the free encyclopedia

島田 陽子(しまだ ようこ、1953年〈昭和28年〉5月17日[2][3] - 2022年〈令和4年〉7月25日)は、日本の女優。一時芸名を島田楊子としていた[3]。MIRAI PICTURES JAPAN業務提携。晩年は映画製作プロダクションエクシード株式会社を設立。

本名 中村ようこ
生年月日 (1953-05-17) 1953年5月17日
没年月日 (2022-07-25) 2022年7月25日(69歳没)
概要 しまだ ようこ 島田 陽子, 本名 ...
しまだ ようこ
島田 陽子
本名 中村ようこ
生年月日 (1953-05-17) 1953年5月17日
没年月日 (2022-07-25) 2022年7月25日(69歳没)
出生地 日本の旗 日本・熊本県熊本市[1]
死没地 日本の旗 日本・東京都渋谷区
身長 171 cm
血液型 O型
職業 女優
活動期間 1970年 - 2022年
活動内容 1970年:女優デビューテレビドラマ『おさな妻』
主な作品
受賞
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1980年『将軍 SHŌGUN』
その他の賞
  • ハリウッド・ゴールデンアップル賞(1980年、ディスカバリー・オブ・ザ・イヤー)
  • IBA賞(ウーマン・オブ・ザ・イヤー)
  • 第3回日本ジュエリーベストドレッサー賞(1992年、30代部門)
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熊本県熊本市出身[2][3]。駒沢学園女子高等学校卒業[1]。

来歴・人物

3歳からクラシックバレエを習い、高校まではバレリーナを目指していた。8歳の時に東京へ移住[3]。中学1年生の時に劇団若草に入団[2][3]。

テレビドラマのデビュー作は1970年度版の『おさな妻』第11話「貞操の危機」(東京12チャンネル=現・テレビ東京、1970年12月11日放送)。翌年、『続・氷点』では辻口陽子役を演じ[1][3]、最終回の視聴率は42.7%に達した[4]。

当たり役を得たことで一気に出演依頼が殺到し、しかも出演作は高視聴率を誇ったため、人気女優の座を不動のものにした[1]。

1970年代の映画・テレビドラマでは、正義感あふれる良家の子女役を多く演じた[5]。

1974年、『われら青春!』でヒロインの女教師・杉田陽子役を演じ、「清純派女優」として若者世代を中心に人気となる。

1980年、アメリカのテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』(映画編集され欧米・日本などで上映)でヒロイン・まり子役を演じ、アジア地域出身者としては初となるゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞して「国際女優」とも呼ばれた[2][3][6]。

『将軍 SHŌGUN』の大ヒットを受け、翌1981年(28歳)には、アメリカに在住する日系アメリカ人女性マラソン選手・ゴーマン美智子の自伝『走れ!ミキ』を映画化した作品『リトルチャンピオン』に主演した(アメリカ人スタッフによるオール・アメリカ・ロケの映画であるが制作国は日本)。

1988年の東映『花園の迷宮』で共演したロック歌手・内田裕也と不倫交際し[7]、内田に貢ぎ続けて多額の借金をつくる[1][8]。

1988年、ハワイのコンドミニアムで内田裕也と不倫密会をしている写真を写真週刊誌『フライデー』に掲載される。

内田裕也は島田と結婚するために別居している妻・樹木希林に離婚を申し入れたが樹木は拒否。内田は役所に離婚届を提出したが、樹木は離婚無効の訴訟を起こして勝訴し、内田と離婚しなかった。そのため、島田は内田と結婚することができなかった。

1992年、ヘアヌード写真集を発売[1]。その写真集『Kir Royal(キール・ロワイヤル)』は出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で55万部[9]のベストセラーになる。

1996年、TVドラマ「丘の上の向日葵」(1993年4月期TBS系列東芝日曜劇場枠放送)で知り合った3歳年下の照明ディレクターYと、2年間の同棲を経て結婚した[10]。Yには当時妻子がいた為、島田は別れを切り出そうとしたが、Yはその妻と離婚しプロポーズした。

2011年1月、MUTEKIからAV(イメージビデオ)に出演[1]。

2019年7月、離婚[11]。

2022年7月25日12時57分、大腸がんによる多臓器不全のため東京都渋谷区の病院で死去した[12][13]。69歳没。関係者によれば亡くなる3年前から大腸がんで闘病生活を送っており[14]、病状は近しい関係者にのみ伝えられており、入退院を繰り返していた。医師からは人工肛門の造設も勧められていたが、仕事面との両立から手術や抗がん剤による治療は行っていなかったとのことである[15]。7月に入って体調不良のため検査入院し、その後は体調が好転し退院が近づいていたが、同月21日に大量の下血により血圧が低下し意識が混濁、亡くなる当日午前に危篤に陥り、病院関係者に看取られて息を引き取ったという[13]。

最後の公の場となったのは、2021年12月の角川映画祭。20歳過ぎの時ヒロインを演じた映画「犬神家の一族」(1976年、市川崑監督)4Kデジタル修復版上映後のトークイベントへの登壇で、「犬神家でこういう登壇は初。今までなかった」「個人的に犬神家が一番好き」と発言。また修復版で若かりし自分を見た感想を「あまりの画面の綺麗さでびっくりしました」と語った[16]。

さらに島田は撮影エピソードや裏話も明かした[17] が、島田が犬神家について詳細に語るのはこれが初めて。年月がたっても色あせず、語り継がれる日本映画に女優として関われた幸せを口にした。

『島田は長身であり、登壇した際は独特な存在感を放った。かつてワイドショーをにぎわせた頃と比べると痩せた印象だが、肌の色は白く、美貌は相変わらず。ただ、話をしていて息継ぎするたび、その息を吸い込む音がマイクに拾われ、声を出すのが苦しそうな印象だった。』と、この時すでに病状が悪化していたらしき事も報じられた[18]。

死後の7月26日の通夜、翌27日の告別式の後に荼毘に付されたが、近親者とは疎遠であったため遺骨の引き取り手が現れずに渋谷区で保管されていると報じられたものの[19]、元マネージャーが8月2日に確認したところ、未だ荼毘に付されておらず、遺体はドライアイスで防腐処理を施されて保管されていた[20]。結局8月上旬に渋谷区が荼毘に付し、15日にはマネージャーに遺骨が引き渡されている[21]。また、埼玉県本庄市の寺に島田が購入した墓があるとする一方[20]、現マネージャーは生前の希望として都内の寺に埋葬すると説明している[22]。その後、遺骨は知人が引き取り、島田が保管していた母親の遺骨と共に父親の墓に納められたという[23]。

エピソード

  • 高校生時代は学級委員を務める優等生で、卓球・テニス・バスケットボールを得意とするなどスポーツも万能であった[2]。
  • かつて右頬に大きなえくぼがあった。
  • 『仮面ライダー』への出演は、主演の藤岡弘と同じ事務所に所属していたことによるバーター(抱き合せ)起用であった[2][3][注釈 1]。プロデューサーの阿部征司はマネージャーから「ノーギャラでも構わない」と言われていたが[2][3]、小遣い程度のギャラは出ていたはずだと述べていた。
  • 長野県軽井沢町に別荘があった[25]。また2000年代後半から数年間は、脳梗塞で倒れた実母の療養のために軽井沢で介護生活を送っていた[26][27]。
  • 2億5千万円で購入した横浜の豪邸のローンや税金を払えなくなり、さらに自家用車の修理代や引っ越し費用の未払い、駐車代の滞納[21]など、金銭トラブルが相次いだ。
  • SM作家・団鬼六から100万円を借りたが返済が滞り、団から債権を引き継いだ不動産会社社長から刑事告訴された[要出典]。
  • 自身の死後は、銀河ステージに宇宙葬の予約をしていた[14]。

出演作品

テレビドラマ

テレビアニメ

ラジオ番組

  • 島田陽子ワクワクモーニング(2015年10月3日 - 、文化放送)[29]

映画

CM

アダルトイメージビデオ

  • 密会(2011年1月1日、MUTEKI)
  • 不貞愛(2011年2月1日、MUTEKI)

ディスコグラフィ

シングル

さらに見る 発売日, 規格 ...
発売日 規格 規格品番 面 タイトル 作詞 作曲 編曲
ビクター・レコード
1972年 EP SV-2247 A 愛のナレーション 高嶺修二
上野登代志(台詞)
高嶺修二 クニ河内
B 冬はその年も流れて 酒井国雄 千葉毅 ボブ佐久間
1973年 EP SV-1163 A 勇気をだして 山上路夫 鈴木邦彦 佐藤行
B 小さな坂道
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アルバム

写真集

著書

受賞歴

※1981年にテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』で、エミー賞ミニシリーズ部門・主演女優賞にノミネートされたが、受賞には至らなかった。

脚注

参考文献

外部リンク

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