なかにし礼が太刀川恒夫、渡辺亮徳を伴い岡田茂東映社長(当時)へ本企画を持ち込み「前々から、なんとかして映画を作りたいと想い続けてきた」「製作資金はトーメンが面倒見てくれる。前売りも100万枚確保します。東映には迷惑かけませんから」と直談判し[2]、北村恒夫トーメン社長(当時)を囲んで会い、北村の「なかにし君のロマンに賭けたい」という言葉に納得して「なかにし君の夢をかなえてやろう」と東映で製作を決めた[2]。なかにしはトーメンの顧問を務めていた[6]。本作の主人公・中居屋重兵衛は商社マンの先駆者のような人物とされるためトーメンが出資を決め[2]前売り券も70万枚契約したという[2]。東映はテレビもビデオもマーチャンも、全部東映がオールライツを握るというのを大原則にしてきたが、当時の映画界を取り巻く状況から方向転換し、組む相手にも出資させる、そのかわり権利の配分を渡すというように年間数本の外部との提携作品を織り込んでいく方針を打ち出していた[2]。
タイトルの『動天』は商人が「天を動かす」という意味で、なかにしこだわりの命名[6]。なかにしが中居屋重兵衛の話を見つけて企画を立て既に脚本を書いていたが[7]、内容が映画的でないと判断され[7]、舛田に頼まれた笠原和夫が入り脚本の手直しの準備を始めた[2][6]。しかし岡田東映社長が、なかにしが笠原とぶつかることを危惧し[7]、笠原が仕事がなくて困っていた芦沢俊郎を舛田に紹介し、芦沢が笠原の後任として途中から参加した[6]。ところが芦沢が怠け者で仕事をせず、笠原も岡田社長の指示で『福沢諭吉』の脚本にまわり、結局なかにしが原作としてクレジットされ、脚本はほぼ舛田が作成したという[7]。なお、本作の主人公・中居屋重兵衛は架空の人物という説もあり、当時も確証の高い資料は見つからず、内容はフィクション部分が多い可能性もある[7]。
当時はバブル期でトーメンが文化事業という名目で製作費10億円を全額出資[7]。うち3億円をなかにしが使い、1億円を東映京都撮影所が使用した[7]。琵琶湖畔の空き地に京都撮影所のスタッフが当時の横浜を再現したオープンセットを製作した[6]。
10億5000万円。1991年配給収入日本映画第8位[1]。