川上拓斗
日本のプロ野球審判員
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経歴
小学3年生のときから野球を始め、中学時代はエースを務めた[3]。中越高等学校時代は2年夏に故障しながらも[4]、3年春にはメンバーに復帰し[5]、夏にも一塁手の控えとしてベンチ入り。県大会準々決勝の日本文理高校戦では最終回で代打として出場するも三振に倒れ、引退した[3]。高校公式戦は代打でしか出場できなかったものの、通算4打数3安打の打率.750であった[5]。故障で試合に出られない中、練習試合で審判を任され、その頃に高校の先輩がNPBアンパイア・スクールを受験する話をたまたま聞いたことから、野球審判員を目指すようになる[3][5]。
高校時代にアンパイア・スクールを受けることはせず、まずは地元で経験を積む方針をとる[5]。高校卒業後の2015年春より、プロ野球独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の審判員に採用され、2017年まで公式戦の審判を務めた[3][6]。他の仕事もしながらだったため、週末の試合が中心だったが[2]、2017年にはリーグの最優秀審判員に選出された[3]。
日本野球機構(NPB)では2013年よりNPBアンパイア・スクールの受講者から審判員を採用する制度を始め、川上も2015年から連続で受講するが、2度不合格となる[3][5]。2017年の第5回のスクールで合格し、2018年よりNPB研修審判員となる[3][7]。研修審判員として前年までも所属していたBCリーグに派遣された[7]。
2019年1月1日に日本野球機構審判部に育成審判員として入局[1][2][4]。育成審判員として3年間、二軍公式戦での経験を積み、2022年1月1日より一軍公式戦も担当できる正審判員として契約[2][6]。アンパイア・スクールの制度が始まってから、BCリーグ出身者がNPB正審判員となるのは川上が初[6]。また、新潟県出身のNPB審判員も、2010年に引退した山﨑夏生以来である[2]。
2025年4月26日の埼玉西武ライオンズ対オリックス・バファローズ5回戦(ベルーナドーム)で三塁塁審として一軍初出場を果たした[8]。
2026年4月16日の東京ヤクルトスワローズ対横浜DeNAベイスターズ5回戦(明治神宮野球場)で一軍初球審を務めた[9]。しかし同試合の8回裏、ヤクルトの攻撃中にホセ・オスナの振ったバットが川上の頭部に当たって倒れ込んだ。川上は担架で運ばれて負傷交代となり、一塁塁審の吉本文弘が球審に、控え審判の須山祐多が一塁塁審に入った[10][11]。翌日、NPBは川上が緊急搬送されて緊急手術を受け、集中治療室で治療を受けていることを発表した[12]。
NPBは川上の事案を極めて重大なものと受け止め、審判員の頭部の保護を含めた防護措置について早急に検討することをコメントし[12]、同月18日開催の一軍戦全6試合で、これまで任意だった球審のヘルメット着用を指示した[13][注 1][注 2]。その後の4月30日には、意識は戻っておらず集中治療室から一般病棟に移行したと発表[15]。