川之上という呼び方は室町期からみられるものである。室町期は東桶井郷と西桶井郷の南側に東西に延びていた道の両側に形成されていた町であった。江戸期からは現在の川之上町という呼ばれ方をされるようになった。江戸期は奈良町の中の一つの町であり、北は薬師堂町に隣接していた[4]。
かつて飛鳥小学校から川之上町を通り、築地之内町を経て元興寺町へと流れている川があった。川之上町はその川の上流に沿っていたことから名づけられた。その川は古くは元興寺を飛鳥寺と呼んだことと同様に、明日香村にちなんで飛鳥川と呼ばれていた。
1938年(昭和13年)の世帯数は16、1980年(昭和55年)の世帯数は16、人口は50であった。