川越警察署
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| 都道府県警察 | 埼玉県警察 |
| 管轄区域 | 川越市 |
| 交番数 | 12 |
| 駐在所数 | 2 |
| 所在地 |
〒350-0032 埼玉県川越市大字大仙波410番地1 |
| 位置 | 北緯35度54分42.6秒 東経139度29分58.1秒 / 北緯35.911833度 東経139.499472度座標: 北緯35度54分42.6秒 東経139度29分58.1秒 / 北緯35.911833度 東経139.499472度 |
| 外部リンク | 川越警察署 |
川越警察署(かわごえけいさつしょ)は、埼玉県川越市にある、埼玉県警察が管轄する警察署。県内有数の大規模警察署で、署長の階級は警視正。県西部を管轄する第2方面本部が置かれている[1]。埼玉県警察西部機動センターとの合同庁舎でもある[2]。
所在地
- 川越市大字大仙波410番地1
交番・派遣所
駐在所
- 芳野駐在所
- 山田駐在所
過去に設置されていた交番・駐在所・派遣所
- 久保町交番(小仙波町周辺地域自主防犯ステーション(愛称:ら(羅)館)に変更)
- 岸町交番(岸町地域自主防犯ステーション(愛称:烏頭坂ステーション)に変更)
- 南古谷駐在所(大字並木270:平成24年4月1日南古谷駅前交番として南古谷駅前に移転する。)
- 古谷交番(大字古谷上4256:南古谷駅前交番古谷派遣所に改称。その後令和3年4月に古谷連絡派出所に変更)
- 川鶴交番(霞ヶ関駅前交番川鶴派遣所に改称)
- 福原交番(南大塚駅前交番福原派遣所に改称)
歴史・沿革
川越における近代警察の端緒は、明治5年11月15日(1872年12月15日)に当時の入間県第一大区第一小区(川越町)に設置された見張番所に遡る[3]。入間県が熊谷県となった後の1874年(明治7年)には警視方出張所と改称[4]、さらに警察出張所という名称を経て1875年(明治8年)に警保出張所と改称された[5]。当初10名であった人員はこのとき14名に増員された。同年12月28日には屯所も設置され、巡査1名が配置された[6]。1876年(明治9年)には川越を含む旧入間県の範囲が埼玉県に統合されたため、警保出張所は警察第11川越出張所となり、第42川越屯所および第45中山屯所を管轄することとなった[7]。この時の警察署は川越町字本町8番地の官有地にあった[8]。
1877年(明治10年)2月5日、内務省達に基づいて改称が行われ、警察第11川越出張所は川越警察署、第42川越屯所は川越警察署川越分署となった[9]。分署は志儀町1007番地[10]の民有地・家屋を借用していた。川越警察署には警部1名と巡査4名、分署には巡査10名が配置され、分署は川越町と周辺77ヶ村を管轄した[11]。1878年(明治11年)、当時喜多町にあった埼玉県監獄川越支署[12]の囚人看守を目的として、同地に移転・合併した[13]。1882年(明治15年)には川越分署が廃止され、川越警察署は再び監獄と分離して大字川越38番地・350番地の新庁舎に移転した[14]。同地では1906年(明治41年)と1929年(昭和4年)に庁舎の改築が行われ、1929年の改築では鉄筋2階建ての庁舎となった[14]。
太平洋戦争終結後の1948年(昭和23年)3月7日、旧警察法の施行に伴い、埼玉県警察部が解体され、従来の川越警察署は国家地方警察埼玉県川越地区警察署となった[15]。同じ場所に、新たに自治体警察川越市警察署が開設された[16]。1951年(昭和26年)には国家地方警察と市警察の連携を図るためにブロック制が導入され、川越地区警察と川越市警察は第2方面に含められた[17]。また国家地方警察は大字脇田104番地の新庁舎へ移転した。
1954年(昭和29年)7月1日、新警察法施行に伴い自治体警察と国家地方警察が廃止されて埼玉県警察川越警察署となり、脇田庁舎は分室として利用された[14]。1966年(昭和41年)4月には新宿町1-1に新庁舎が完成し移転した[18]。
1970年6月16日、空巣の通報を受けて出動した巡査が頸動脈付近を刺されて重体となる事件が起きた[19]。
1972年、東入間警察署開設に伴い、富士見市と上福岡市、大井町(いずれも現ふじみ野市)が管轄地域から分離。
1998年6月29日、小仙波に西部機動センターとの合同新庁舎が完成し[20]、新宿町から移転した。2021年4月1日には管内の交番再編成に伴い、川鶴交番が霞ヶ関駅前交番川鶴派遣所に、福原交番が南大塚駅前交番福原派遣所に、南古谷駅前交番古谷派遣所が古谷連絡派出所に、それぞれ改称した[21]。