川越少年刑務所
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収容分類級
収容定員
- 1,491人
沿革
- 1871年(明治4年) - 入間県喜多町にあった牢屋を「川越囚獄」と改称
- 1873年(明治6年) - 川越町廓町(川越城二の丸跡)に移転。軽罪囚を収容
- 1907年(明治40年)12月 - 川越町脇田西町(現在の川越駅西口付近)に移転
- 1921年(大正11年)10月 - 官制改正により「川越少年刑務所」と改称。18歳未満の少年受刑者を収容
- 1943年(昭和18年)1月 - 少年造船奉公隊を結成し、鶴見造船所、浅野船渠に出役[1]。
- 1951年(昭和26年) - 20歳未満の受刑者を収容
- 1969年(昭和44年)11月 - 現在地に移転。浦和拘置支所(現在のさいたま拘置支所),熊谷拘置支所を所管
- 1970年(昭和45年)3月 - 職業訓練のうち総合訓練を行う総合訓練施設に指定
- 1972年(昭和47年)7月 - 受刑者分類規定の施行に伴い、26歳未満の懲役受刑者及び少年禁固受刑者を収容
- 1982年(昭和57年)4月 - 東京矯正管区分類センターを併設
組織
所長の下に5部を持つ少年刑務所唯一の5部制である。
- 総務部(庶務、会計、用度)
- 企画調整部(本部、警備)
- 矯正処遇部(処遇、職業訓練、教育)
- 調査・支援部(調査、審査保護、社会復帰支援)
- 医務部(保健、医療)
