川面聡大
From Wikipedia, the free encyclopedia
| |||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | かわつら そうた | ||||||||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | Sota Kawatsura | ||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
| ||||||||||||||||||||||||||
| 競技 | 陸上競技 (短距離走) | ||||||||||||||||||||||||||
| 種目 | 60m, 100m, 200m | ||||||||||||||||||||||||||
| 大学 | 中央大学 | ||||||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1989年6月19日(36歳) | ||||||||||||||||||||||||||
| 出身地 | 東京都 | ||||||||||||||||||||||||||
| 身長 | 172cm | ||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 58kg | ||||||||||||||||||||||||||
| 成績 | |||||||||||||||||||||||||||
| 地域大会決勝 |
アジア選手権 100m : 3位 (2011年) 4x100mR : 優勝 (2011年) | ||||||||||||||||||||||||||
| 国内大会決勝 |
日本選手権 100m : 3位 (2011, 2015年) 200m : 5位 (2009年) | ||||||||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | |||||||||||||||||||||||||||
| 60m |
6秒63 (2014年) | ||||||||||||||||||||||||||
| 100m |
10秒22 (2011年) 10秒10w (2014年) | ||||||||||||||||||||||||||
| 200m | 20秒56 (2011年) | ||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||
| 編集 | |||||||||||||||||||||||||||
川面 聡大(かわつら そうた、1989年6月19日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。東京都出身。東京都立高島高等学校卒、中央大学法学部国際企業関係法学科卒、東海大学大学院体育学研究科コーチング学修了。ミズノトラッククラブ所属。元屋外60mの日本最高記録保持者。
高校時代、インターハイ東京都予選の100m・200mの2種目で準優勝。いずれもこの年のインターハイで二冠に輝く小林雄一に敗れた。
南関東大会では2種目とも本戦に出場できる6位に0.03秒及ばない7位に終わる。
高校卒業後は中央大学に進学。高校時代に全国大会に出場できず、スポーツ推薦での入学は難しかったが、大学側が入学の条件にした日本ジュニア選手権出場をクリアして入学することができた[1]。
2年時には主要大会のファイナルの常連になるまでに成長する。
2011年5月の関東インカレ100mで山縣亮太を破り優勝した[2]。200mも2011年世界選手権のA標準となる20秒56で優勝すると、更に400mリレーも制して短距離3冠を達成し、大会最優秀選手に輝いた[3][1]。同年6月の日本選手権は100mで初の決勝進出を果たし3位、200mは予選敗退に終わった。同年7月のアジア陸上競技選手権大会の100mで3位、400mリレーで優勝した[4]。2011年世界陸上競技選手権大会の代表にも選ばれたが[5]、400mリレーの補欠として出番なしに終わった。同年10月の国民体育大会100mで10秒22の自己ベストをマークした。
2012年は大手企業への一般就職が内定していたが、内定を1年間保留してもらい、ミズノに所属してロンドンオリンピックの出場を目指した。しかし、6月の日本選手権には100mと200mのロンドンオリンピックB標準突破者として出場したが[6]、両種目で予選敗退に終わりオリンピック出場を逃した。その悔しさもあり、企業に断りを入れてミズノで陸上を続けることにした[7][8]。初出場となった9月の全日本実業団選手権では、100mは江里口匡史と0秒02差の2位、200mは3位、400mリレーは優勝、1600mリレーは4位。
2013年3月のアメリカ合宿では課題だったスタートを改善するためにデニス・ミッチェルから指導を受けた[9]。6月の日本選手権100mでは2大会ぶりの決勝に進出し5位。7月のアジア選手権は100mが準決勝失格、400mリレーは2位。9月の全日本実業団選手権100mでは前大会覇者の江里口匡史を破り初優勝、200mは前大会を上回る2位。地元東京で開催された10月の国民体育大会100mでも初優勝を果たした。
2014年6月の日本選手権は100mが準決勝敗退、200mは2009年以来5大会ぶりの決勝進出を果たし8位。10月の日本記録挑戦会兼住友電工杯60mで6秒63を記録して、屋外60mの日本最高記録を29年ぶりに0秒06更新した[10]。
2019年4月1日よりアスレティクス・ジャパンに所属し、競技を続ける[11]。アスレティクス・ジャパントラッククラブの指導スタッフとしての活動も行う[12]。