平和の旅
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| 国共交流中 | |
行程地図 | |
| 日付 | 2005年4月26日 – 5月3日 |
|---|---|
| 場所 | 中国大陸( |
| 種別 | 政党間の交流 |
| 主催者 | 中国共産党中央台湾事務弁公室 |
| 関係者 | など など |
平和の旅(へいわのたび、中: 和平之旅)とは、党主席の連戦を筆頭とする中国国民党の要人らが、2005年4月26日から5月3日にかけて中国大陸(中華人民共和国)を訪問した出来事のことである。これにより、連戦は1949年の両岸分断以降で初めて中国大陸を訪問した国民党党首となった。また、北京訪問時には中国共産党総書記の胡錦濤との会談を行い、1945年の重慶会談(蔣介石・毛沢東)以来となる国共間の党首会談となった。
1987年、中華民国総統の蔣経国は、親族との面会のために国民が大陸を訪問することを解禁した。以降、台湾地区住民が大陸を訪問するのは珍しいことではなくなった。後に総統を務めた陳水扁や蔡英文、副総統を務めた呂秀蓮も、就任前の1990年代に大陸を訪問している。しかし、政府や政党の現職または退任直後の高官が大陸を訪問することは、両岸の政治的関係の現状や台湾地区・大陸地区人民関係条例の規定によって多くの制約を受けている[1]。2001年に蕭万長(国民党副主席、前行政院長)が体育訪問を計画した際も、行政院による審査・調整を経て実行された[2][3]。
2005年初頭、国民党は「今年中にまず党副主席が大陸を訪問する」と発表し、これによって両岸交渉の門戸を開くことを表明した。また、連戦(国民党主席)自身もかねてより大陸訪問に意欲的であった[注 1]。3月28日、江丙坤(国民党副主席、前立法院副院長)率いる訪問団が広東省広州に到着し、「破氷の旅破冰之旅」と銘打った訪問を開始した。3月30日、一行は南京の中山陵を参拝し、その後北京に移動して賈慶林(全国政治協商会議主席・共産党中央政治局常務委員)と会談を行った[5][6]。この会談において「胡錦濤(共産党総書記)が連戦の大陸訪問を招待している」旨が賈慶林から江丙坤へ伝えられた。国民党内では連戦の大陸訪問の準備が始まり、「和平之旅(平和の旅)」と命名された[7]。
出来事
中正国際空港
4月26日、連戦ら約70人の訪問団が台湾を出発し、8日間にわたる「平和の旅」が始まった。しかし、台湾では大陸訪問支持派(主に泛藍支持者)と反対派(主に泛緑支持者)による激しい衝突が勃発していた。
午前6時50分ごろ、連戦の大陸訪問に反対する活動家らを乗せる準備をしていた観光バスが台北市の中山足球場で停車していたところ、突如として数十人の竹聯幇メンバーの襲撃を受け、バスは破壊された[8][9]。その後、連戦一行がバスで高速道路を移動していた時、史明(台湾独立運動家)の指示を受けた4台のタクシーがバスを取り囲んで妨害する事態が発生したが、警護車両の反撃もあって事なきを得た[8]。
桃園県(現:桃園市)の中正国際空港(現:台湾桃園国際空港)第2ターミナルでは、まず6時ごろ、支持者ら約80人が見送りのために出発ロビーに集結した。8時ごろになるとさらに約1,000人の支持者が到着したが、その大半が建物外で止められる事態となった。そのころ、王世堅(民主進歩党所属の立法委員)は約700-800人の反対派を率い、警備が手薄な隙を突いて建物内に侵入した。[8]。
南京

北京
西安
西安は連戦の出生地である[注 2]。
上海