国共関係

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国共関係(こっきょうかんけい、: 國共關係: 国共关系)では、中国国民党(国民党)と中国共産党(共産党)の関係について説明する。

1923年国民党総理孫文ソビエト連邦代表のアドリフ・ヨッフェが共同宣言(孫文・ヨッフェ共同宣言)を発表し、国民党の「連ソ・容共」の方針が明らかになった。その後コミンテルンの要請[1]を受け、陳独秀毛沢東など各共産党員が個人として国民党に加入することで第一次国共合作が成立したが、孫文死後の1927年国民革命軍総司令の蔣介石が共産党員の弾圧(上海クーデター)をこなったことがきっかけで合作は崩壊し、第一次国共内戦に突入した。合作崩壊の原因について、国民党側は「国民党に入党した共産党員は孫文・ヨッフェ共同宣言の取り決めの通り国民党の指導下で国民革命に協力すべきだったが、共産党員は北伐に反対して国民革命を妨害し、南京の光復後に暴動を起こしたため、『清党(共産党員の排除)』を実行した」、共産党側は「孫文の三大政策(連ソ・容共・扶助工農)にも含まれている親ソ政策の実行は、国共合作の根底を成すものであった。しかし国民党右派中国語版は連ソと容共を放棄したため、革命の失敗を招いた。共産党は三大政策を堅持するために国民政府に対する反撃を開始する必要があった」と主張した[2]

1937年には前年に勃発した西安事件をきっかけとして、第二次国共合作(抗日民族統一戦線)が成立した。日中戦争に勝利した1945年には両党指導者の会談(Template:重慶会談)を経て、内戦を避けて統一政権を樹立することを謳った「双十協定」が国民政府と共産党の間で締結されたものの、同年中に内戦は再開した(第二次国共内戦)。1949年に入ると共産党が北平や南京などの主要都市を制圧し、10月に中華人民共和国の建国、12月に中華民国政府台湾撤退が行われ、国民党は中国大陸での拠点を失った。国民党率いる中華民国は台湾で反共路線を維持し、国際社会での「中国」の代表権を巡る争いや台湾海峡での武力衝突を繰り広げてきた。1990年代に入ると台湾の民主化が進んで国民党は独裁体制を放棄し、2000年には政権交代が行われて民主進歩党(民進党)が与党となった。2000年代以降の国民党は共産党との関係改善に転じ、「台湾独立反対」の方針で一致している[3][4]2005年には国民党主席連戦が中国大陸を訪問して共産党総書記中華人民共和国主席胡錦濤との会談を行い、重慶会談以来初めて両党のトップの面会が実現した。

沿革

第一次国共合作(1923年 - 1927年)

第一次国共合作は1920年代に成立した。当初、国民党は新興の共産党と共闘していたが、

合作崩壊

第一次国共内戦(1927年 - 1936年)

第二次国共合作(1937年 - 1945年)

第二次国共内戦(1945年 - 現在)

重慶会談で祝杯をあげる毛沢東と蔣介石

現状

両党幹部同士の会談

馬英九習近平

両党の歴代党首

中国国民党 中国共産党
氏名 写真 役職名 氏名 写真 役職名
1919年 10月 孫文 総理 -
1921年 7月 陳独秀 中央局書記
1922年 7月 中央執行委員会委員長
1925年 1月 中央委員会総書記
3月 (集団指導体制) 中央執行委員会常務委員
1926年 5月 張静江 中央執行委員会常務委員会主席
7月 蔣介石
1927年 3月 (集団指導体制) 中央執行委員会常務委員
1928年 7月 向忠発
1931年 9月 博古
1935年 1月 張聞天
12月 胡漢民 中央執行委員会常務委員会主席
1936年 5月 蔣介石 中央執行委員会常務委員会代理主席
1938年 4月 総裁
1943年 3月 毛沢東 中央政治局主席
1945年 6月 中央委員会主席
1975年 4月 蔣経国 中央委員会主席
1976年 10月 華国鋒
11月 主席
1981年 6月 胡耀邦
1982年 9月 中央委員会総書記
1987年 1月 趙紫陽
1988年 1月 李登輝
1989年 6月 江沢民
2000年 3月 連戦
2002年 11月 胡錦濤
2005年 8月 馬英九
2007年 4月 呉伯雄
2009年 10月 馬英九
2012年 11月 習近平
2015年 1月 朱立倫
2016年 3月 洪秀柱
2017年 8月 呉敦義
2020年 3月 江啓臣
2020年 3月 朱立倫
2025年 11月 鄭麗文

脚注

参考文献

関連項目

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