康和地震

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発生日 承徳3年正月24日・ユリウス暦1099年2月16日・グレゴリオ暦1099年2月22日
震央 奈良付近又は南海道沖[注 1]
規模    M6.4前後(南海道沖の地震ならばM8.0-8.3程度)
被害地域 畿内、もしくは畿内・土佐
康和地震
本震
発生日 承徳3年正月24日・ユリウス暦1099年2月16日・グレゴリオ暦1099年2月22日
震央 奈良付近又は南海道沖[注 1]
規模    M6.4前後(南海道沖の地震ならばM8.0-8.3程度)
被害
被害地域 畿内、もしくは畿内・土佐
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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康和地震(こうわじしん)は、平安時代後期に発生した畿内に被害記録が残る地震である。南海道沖の巨大地震とする説も定着していたが、疑義が唱えられている[1]。この地震の約2年2か月前には東海道沖の巨大地震と推定される永長地震があった。

この地震は承徳年間に発生したが、この天変地異やこの年の夏に流行した疫病を期に康和改元され[2]、年表上では康和元年に相当することから「康和」を冠して呼ばれる。『後二条師通記』および『広橋本兼仲卿記』などに地震被害の記録がある[3]。もともと、畿内付近の地震とされていたが、土佐の被害記録の発見により南海道沖の地震と推定されることになった。しかし、南海道沖の地震とするには疑わしいとする疑義が提唱され、本地震が南海道沖の地震でないとするならば、地震後の京都における余震の記録がほとんど無いことから例えば1952年吉野地震のようなフィリピン海プレートスラブ内地震の可能性もあるとされる[4]

地震の記録

震源域についての問題点

脚注

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