三陸沖北部地震
日本海溝を震源域とする地震のうち、概ね岩手県宮古市田老沖から北、千島海溝接続部までを震源域とする地震
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発生要因
日本海溝では北アメリカプレートに対して太平洋プレートが北西に沈み込んでいる。三陸沖北部地震は、このプレートの沈み込みによって引き起こされる海溝型地震の一つである。地震調査委員会は日本海溝海域を「三陸沖北部」「三陸沖中部」「宮城県沖」「三陸沖南部海溝寄り」「福島県沖」「茨城県沖」「房総沖」「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」と分類を行い、地震の予測に対する評価を行っている。
三陸沖北部のアスペリティ
1968年、1989年、1994年に発生した地震(三陸はるか沖地震も含む)により破壊された領域を詳細に分析した結果、"A","B","C"3つのアスペリティがあり、1968年の地震ではABC の全てが破壊、1989年の地震ではCのみが破壊、1994年の地震ではBのみが破壊されていた[1]。
主な地震
1968年の地震は十勝沖地震と命名されたものの震源域は十勝沖とは異なり、青森県東方沖(三陸沖北部)を震源として発生している。また、1677年、1763年、1856年に発生した八戸の地震もこれに類似するものと推定されている。
1677年
延宝5年三月十二日戌刻(1677年4月13日20時頃)発生。十二日子刻(4月14日0時頃)にも地震があり、こちらが本震の可能性もある。『延宝日記』、『八戸藩史稿』、『三陸沿岸海嘯史』などに記録があり[2]、八戸・盛岡で家屋破損の被害、青森・仙台で被害なし。盛岡藩沿岸で津波があり、大槌・宮古・鍬ヶ崎において波高3-5mで合計約70戸の家屋[3]・船60隻余りが流出。波は宮古で十三日丑刻(午前2時頃)までに3回あり、十三日卯刻(午前6時頃)以降も通常よりも大きな潮の満ち引きがあったという。下北半島の下風呂でも津波があり、船が波に攫われた[4]。
規模は M 7.25 - 7.5、1968年地震と似ると考えると 7.75 - 8.0、震央は北緯41.0度 東経142.25度[4]。
約7ヶ月後の延宝5年10月9日(1677年11月4日)には房総・常陸・磐城で大津波が、約1年半後の延宝6年8月17日(1678年10月2日)には花巻を中心に奥州に被害を齎した地震が発生した[4]。
1763年
宝暦十二年十一月はじめ(1762年12月中旬)より八戸で地震が相次ぐ。同年十二月八日(1763年1月21日)の地震で、八戸の御足軽家並御番所小破、大迫町で有感。(史料2点のみ。)[4]
宝暦十二年十二月十六日(1763年1月29日)酉刻(18時頃)大地震。『宝暦年中八戸御領大地震并洪水略記』、『八戸藩史稿』などに記録がある。八戸で所々破損、南宗寺の御廟・仏殿破損。夕方小舟4隻が波で沖に引かれ破船、大橋が落下。平舘で家潰1戸、死者3人。野辺地で役所及び町の土蔵に破損あり。田名部で潰2戸。大畑で潰1戸,死者1人。青森で潰1~2戸、寺々に被害あり。函館でも強く感じ津波あり。七戸で代官所及び町在で屋敷・土蔵の壁に破損あり。雫石で酒揺り零す。佐渡・中条・佐原・江戸でも有感。M 7.4、震央は北緯41.0度 東経142.3度、1968年地震と似ると考えると、M ≒ 7.9、震央は北緯40.75度 東経143.5度か。[4] 種市で堤防や橋が破損した。津波は八戸・久慈で4-5m。[3]
八戸では上記の地震以来震動が止まらない中、約一ヵ月半後の宝暦十三年一月二七日(1763年3月11日)午刻過ぎ(昼過ぎ)に強震。 『八戸藩日記』では、南宗寺の石塔崩れ、近江屋の土蔵大破し、丸木船1隻波にうたれ破船になるという。 『八戸藩史稿』『八戸藩史料』では、八戸で土居塀崩れ、殿宇破壊し、市中の建物倒壊は十二月の地震に倍す。橋梁破壊し、流出船ありとされる。 日本被害地震総覧(2012)では、前者の『八戸藩日記』を採っている。 弘前・盛岡・花巻・宮古・大槌・渋民・秋田・江戸で有感。M 7.25、震央は北緯41.0度 東経142.0度。[4]
一月二七日から四日後の、同年二月一日(3月15日)未刻(14時頃)、八戸で地震。 『八戸藩日記』では、城の塀倒れ、御朱印蔵の屋根破損するといい、津波に関する記述なし。 『八戸藩史料』では、湊村は津波に襲われ、家屋人馬の流失多しという。 日本被害地震総覧(2012)では、前者の『八戸藩日記』を一応採っている。 盛岡・弘前・大東町で有感。M 7.25、震央は北緯41.0度 東経142.0度。[4]
1856年
安政3年7月23日午刻(1856年8月23日12時頃)発生。M 7.5、震央は北緯41.0度 東経142.3度[4]。『時風録』などに記録がある。7月19日に3回、20日に2回、23日に3回の前震があった。八戸で家屋倒壊の被害があり、三戸・五戸・七戸・野辺地・田名部・青森でも潰家があった。
津波が北海道から三陸海岸を襲い、波高は野田6m、大槌5m、田の浜17尺(5.1m)、小本12-15尺(3.6-4.5m)、綾里5-10尺(1.5-3m)であった。
この地震の約2年前の安政元年閏7月5日(1854年8月28日)にM 6.5程度の地震が発生し、八戸と三戸で被害が発生していた。また、2年後の安政5年5月28日(1858年7月8日)にM 7.3程度の地震が発生し、八戸と三戸で被害が発生している[4]。
1968年(昭和43年)
| 1968年十勝沖地震 昭和43年十勝沖地震 | |
|---|---|
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地震の震央の位置を示した地図 | |
| 本震 | |
| 発生日 | 1968年(昭和43年)5月16日 |
| 発生時刻 | 09時48分53秒(JST) |
| 震央 |
北緯40度44分 東経143度35分(北緯40度44分 東経143度35分) |
| 規模 | 気象庁マグニチュード(Mj)7.9 |
| 最大震度 | 震度5: 北海道 函館市など |
| 津波 | あり |
| 地震の種類 | 海溝型地震 |
| 被害 | |
| 死傷者数 | 死者:52人 負傷者:330人 |
| 被害地域 | 北海道 青森県 |
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出典: 特に注記がない場合は気象庁による。 | |
| プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 | |
概要
1968年十勝沖地震と命名されたが[5]、この地震の震源域はいわゆる“十勝沖地震”とは異なり、地震調査研究推進本部の分類における「三陸沖北部地震」に該当する。
破壊開始点はアスペリティより離れた海溝よりの場所にある[1]。震源は1994年に発生した三陸はるか沖地震の北東にあたり、本来であれば『三陸沖地震(または三陸はるか沖地震)』と命名されるべきものだった。しかし、速報値の計算の際に震央が本来の位置より約50kmほど北に計算され、津波警報の発令など緊急を要する各方面からの要望により早急に地震の名称を決める必要に迫られた為、震源を十勝沖として発表した事から『十勝沖地震』と命名されたものである。また、S波の験測が困難で有ったため、深さが求められず 0km とされた[6]。
- 本震
- 発生:1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分53秒(日本時間)
- 震源:青森県東方沖(北海道襟裳岬南南東沖120km)北緯40度44分、東経143度35分、深さ0km
- 地震の規模:Mj 7.9(Mw 8.2)
- 各地の震度
翌日5月17日のデーリー東北朝刊[8]、青森県の防災ホームページ内の情報[6]、同年6月5日発行された毎日新聞社『毎日グラフ増刊』によると当初苫小牧で震度6が最大震度と発表されたが、後に震度5に変更されている。
被害
北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人が死亡、330人が重軽傷を負った。また住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟にのぼった。特に青森県は、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、一部損壊14,705棟と被害が集中し、青森市や、八戸市・十和田市・むつ市・三沢市をはじめとする県東部に大きな被害をもたらした。
青森県内の被害が大きかった地域では、前日まで3日間の総雨量が100 - 200mmに及んでいたことから、地盤の含水量の増加が原因とみられる地すべり・山崩れ・がけ崩れ等の地盤崩壊が24箇所で発生しており、名川町立剣吉中学校では、本震発生後の避難中に、生徒約40名が校舎裏の山崩れに巻き込まれて、生徒11名が生き埋めになり、そのうち4名が死亡する[9] など、青森県内の死者・行方不明者のうち33名が土砂災害によるものであった。また、むつ市早掛沼では堤防が決壊・流出し、周辺が冠水したのをはじめ、主に盛土構造の崩壊とみられる道路損壊375箇所、鉄軌道被害34箇所、堤防決壊34箇所が青森県内で発生した。
10時03分に津波警報が発表され[7]、10時20分ごろから三陸沿岸を中心に津波が襲来し、三陸沿岸の一部で3 - 5m、襟裳岬で3mを記録した。これにより、建物浸水529棟、船舶沈没・流出127隻の被害が発生、八戸港内ではタンカー損傷による燃料流出事故も生じたが、干潮時だったことが幸いし、また、昭和三陸地震やチリ地震の津波を教訓とした施設整備等もあって、被害はそれほど大きくならなかった。津波警報は、23時00分に解除された[10]。
この地震により、十和田湖の名勝であった蝋燭岩が倒壊したり、北海道樺戸郡の新十津川町花月小学校のブロック製の煙突が途中で折れて落下した。また南部鉄道が廃止に追い込まれることとなったほか、函館大学や三沢商業高等学校、八戸東高等学校、八戸工業高等専門学校、むつ市役所庁舎の倒壊(圧壊)をはじめ昭和30年代後半から建てられ始めた比較的新しい鉄筋コンクリート造の公共建築物の被害が目立った。この地震を契機に、1971年には「建築基準法施行令」の改正及び「日本建築学会鉄筋コンクリート構造計算規準」の改定がなされている。
また、激震で本州と北海道を結ぶ海底ケーブルが切断され通信が途絶。北海道は一時孤立状態になった。また放送用のマイクロウェーブ回線(中継回線)も青森県の甲地(東北町)で途切れ、北海道の局に東京や大阪からビデオテープが空輸される事態となった。これを教訓に災害応急復旧用無線電話・孤立防止用無線が開発配備されている。
このほか、国鉄青森駅と函館駅では、青函連絡船桟橋の床が抜け落ちたり、可動橋が損壊するなどして、本州⇔北海道間の人の流れや物流にも、大きな影響が出た[11]。
この地震の影響により、5月19日に秋田県田沢湖町(現:仙北市)の田沢湖畔で行われる予定だった『全国植樹祭』への天皇・皇后の臨席が取りやめとなった[12]。
余震域の拡大
5月16日の地震
| 青森県東方沖地震 | |
|---|---|
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地震の震央の位置を示した地図 | |
| 本震 | |
| 発生日 | 1968年(昭和43年)5月16日 |
| 発生時刻 | 19時39分01秒(JST) |
| 震央 |
北緯41度25分 東経142度51分(北緯41度25分 東経142度51分) |
| 規模 | 気象庁マグニチュード(Mj)7.5 |
| 最大震度 | 震度5: 北海道 浦河町 広尾町 |
| 津波 | あり |
| 地震の種類 | プレート内地震 |
| プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 | |
余震は初め、本震のほぼ南側に集中していたが、本震と同日の午後7時39分01秒(日本時間)に本震の北西約100kmの青森県東方沖で最大余震が発生した。この余震で津波を観測したほか、これに伴って最大余震の周辺の直径約60kmの領域でも余震活動が活発化した。この余震は低角逆断層型のプレート間地震ではなく正断層型であり[13][14]、宇津(1999)は通常の余震とするには規模が大きいことから青森県東方沖の地震としている[13]。2013年の地震調査委員会の報告ではこの地震を余震としたものの、三陸沖北部のプレート間地震ではないと判断した[13]。また、この最大余震の余震と思われる地震が発生したことで一時的に余震が増加したものの、全体として余震活動は低下していた[15]。
- 最大余震
- 発生:1968年(昭和43年)5月16日午後7時39分01秒(日本時間)
- 震源:青森県東方沖 北緯41度25分、東経142度51分、深さ40km
- 地震の規模:Mj 7.5, Mw 7.9
- 各地の震度
6月12日の地震
| 三陸沖地震 | |
|---|---|
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地震の震央の位置を示した地図 | |
| 本震 | |
| 発生日 | 1968年(昭和43年)6月12日 |
| 発生時刻 | 22時41分42秒(JST) |
| 震央 |
北緯39度25分 東経143度8分(北緯39度25分 東経143度8分) |
| 規模 | 気象庁マグニチュード(Mj)7.2 |
| 最大震度 | 震度4: 青森県 岩手県 宮城県 |
| 津波 | あり |
| プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 | |
その後、6月12日に本震の震源の南方、岩手県沖約100kmの三陸沖でM7.2の地震が発生した。この地震で津波を観測し、この地震を含めた直径約50kmの領域に余震が集中的に発生した。この領域ではこれまで本震や最大余震に伴う余震は発生しておらず、これらの余震によって余震域は南方に拡大した[15]。なお、この余震のアスペリティは本震によって破壊されたアスペリティの南側に隣接しており[16]、三陸沖北部の領域が破壊されたものではない[13]。
- 余震
- 発生:1968年(昭和43年)6月12日午後10時41分42秒(日本時間)
- 震源:三陸沖 北緯39度25分、東経143度8.0分、深さ0km
- 地震の規模:Mj 7.2, Mw 7.0
- 各地の震度
発震機構の変化
中島(1974)によると、1963年以前、十勝沖地震の余震域では横ずれ型や縦ずれ型、その両方を含んだ型など発震機構が混在し余震域全体ではまとまった傾向が見られなかったが、1964年以降本震と同様な逆断層型の地震が多くなり始めた。本震や余震の発震機構を調べると、下北半島東方沖以北の正断層型の最大余震と様々な断層型が集まったN領域、宮古沖から八戸沖までの逆断層型が散在するC領域、釜石沖の逆断層型の6月12日の余震と様々な断層型の余震が集まったS地域の3つに直線的に分けられるとしている[14]。
ひとまわり小さな地震
ここでは三陸沖北部を震源とするもののうち、繰り返し発生する地震に分類されないものを扱う。三陸沖北部の南半分の領域を含む北緯39度 - 40度、東経143度 - 144度の領域ではたびたび M6から M7程度を最大とする群発地震活動が発生し、津波を観測することがある[17]。
ここでは便宜的に、『三陸沖北部』を「青森県東方沖」(八戸沖)[注 1]、「岩手県沖北部」[注 2]、「岩手県沖中部」[注 3]、「岩手県沖南部」[注 4]、「その他」(八戸藩含む南部氏藩内での被害含む地震で震源不詳)に近い震源に分けて記述する。
以下の中で死者が報告されている地震は、1770年、1772年、1821年、1901年、1902年、1945年、1994年の地震。
青森県東方沖
この領域は1968年十勝沖地震の震源域の一部(永井・菊池・山中 (2001)におけるアスペリティC)が含まれる。[18]
1667年(寛文7年)
1667年8月22日(寛文七年七月三日)巳刻(午前10時頃)発生。八戸市中の藩士邸宅及び市街商家の建物破損夥し。引き続き小震あり。津軽・盛岡で大地震、江戸で有感。 震央は北緯40.6度 東経141.6度、規模は M 6.0 - 6.4。[4]
1674年(延宝2年)
1674年4月15日(延宝二年三月十日)辰刻(午前8時頃)発生。八戸城内並びに諸士屋敷・町屋破損多く、南宗寺で御玉屋・石塔・石灯篭転ぶ。 弘前・盛岡・角館・追町・日光・江戸で有感。震央は北緯40.6度 東経141.6度、規模は M ≒ 6.0 - 6.4。[4]
1712年(正徳2年)
1712年5月28日(正徳二年四月二三日)申の半刻(16時頃)発生。八戸で御屋舗少々破損。御家中・御町別条なし(八戸で震度4~5か)。余震二五日まで。羽前・余目・湯沢・盛岡・弘前・板柳で有感。震央は北緯40.5度 東経141.5度、規模は M 5.0 - 5.5。[4]
1769年(明和6年)
1769年7月12日(明和六年六月九日)辰の刻(午前8時頃)発生。八戸の殿中及び諸建物牆壁、諸士武家の損大、御殿通り並びに外側通り他所々破損。南宋寺御霊屋・石塔・本堂・庫裡・大門など破損。大橋五軒落つ。青森の村井家で座敷壁所々で破れ目立つ。弘前・盛岡・花巻・江戸で有感。震央は北緯40.6度 東経141.6度、規模は M ≒ 6.5?[4]
1832年(天保3年)
1832年3月15日(天保三年二月十三日)午刻(正午頃)発生。八戸で土蔵破損多し。家々も破損ありしが格別のことはあらず。南宋寺・本寿寺の石碑ところどころ痛む。鰺ヶ沢・雫石・稲川・気仙沼・西川・米沢・川俣・坂戸・江戸で有感。震央は北緯40.7度 東経141.6度、規模は M ≒ 6.5。[4]
1854年(嘉永7年)
1854年8月28日(嘉永七年閏七月五日)夜四ツ頃(22時半頃)発生。三戸で蔵の壁痛・弐階落ち・屋根石転落あり。八戸で御朱印蔵など蔵大破、地割れあり。米沢・秋田・花巻・黒石・弘前・鰺ヶ沢・青森・江戸で有感。震央は北緯40.6度 東経141.6度、規模は M 6.5∓0.25。七月二日にも八戸で地震記録があるが誤記?[4]
1858年(安政5年)
1856年の地震から約2年後の、1858年7月8日(安政五年五月二八日)夜五ツ時(23時頃)発生。八戸で土蔵破損・堤水門の損あり。三戸で土蔵・橋等所々破損。青森・弘前・むつ・田名部・鰺ヶ沢・秋田・大館・花巻で強く感ず。クナシリ・長万部・田代町・大石田・大江町・宮古市長沢・相馬・塙町石井・佐野・鹿沼・太田・水戸・流山・江戸・蕨・富士宮で有感。震央は北緯40.75度 東経142.0度、規模は M 7.0 - 7.5。[4]
1913年(大正2年)
1913年(大正2年)2月20日17時58分に日高沖の北緯41.8度 東経142.3度でM 6.9の地震が発生し、小規模な地割れが十勝地方で発生した。同年8月1日7時6分にも北緯41.8度 東経142.5度でM 5.7の地震があり、日高地方で壁が崩れるなどの被害があった[19]。
1943年(昭和18年)
1943年(昭和18年)6月13日14時11分41秒に発生。震央は北緯40度59.6分 東経142度49.5分の青森県東方沖で、Mj 7.1(Mt 7.3-7.5[20], Mw 7.2[21])の地震。
北海道、青森県で最大震度4を観測した。八戸で全振幅60cm、宮古で全振幅13cmの津波を観測した[20]。
震度3以上を観測した地点は次の通り[22]。
1945年(昭和20年)
1945年(昭和20年)2月10日15時38分0秒に発生。震央は北緯40度56.8分 東経142度22.5分の青森県東方沖で、Mj7.1(Mt 7.0[20], Mw 7.2[21])の地震。
八戸市で最大震度5を観測した。八戸、小中野、三田町方面で微小被害があり、死者2人、家屋倒壊2棟の被害を出した。八戸で全振幅35cmの津波を観測した[20]。
震度4以上を観測した地点は次の通り[22]。
2025年(令和7年)
2025年(令和7年)12月8日に青森県東方沖(北緯40度58.0分 東経142度17.2分)を震央とする MJMA 7.5 の地震が発生した。
岩手県沖北部
この領域は、1968年十勝沖地震の震源域の一部(永井・菊池・山中 (2001)におけるアスペリティB)が含まれる。[18]
1901年(明治34年)8月
1901年(明治34年)8月9日 18時23分に、青森県東方沖(北緯40.5度 東経142.5度)を震央とする M 7.2(Mw 7.2)の地震が発生した。
約9時間後の8月10日午前3時33分に、同じく青森県東方沖(北緯40.6度 東経142.3度)を震央とする M 7.4 (Mw 7.5[21])の地震が発生した。
一連の活動は八戸群発地震とも呼ばれる[23]。被害は一括して記載されている資料が多い。
二つの地震による被害は青森県三戸郡で大きく、上北郡がこれに次ぐ。死傷者 18 人、住家全壊 8 棟・住家破損 615 棟、その他鉄道・道路に被害を齎した[20]。岩手県内では、二戸・三戸郡で大きく、壁破損。大更村で家屋大破 2 棟、沼宮内村で家屋破損 24 棟。秋田県小坂村・毛間内町で家屋に小被害、小坂鉱山の煙突折れる。
宮古近海で9日夜 60 cm 程度の小津波、10 日はなし。鮎川で9日18時52分から全振幅 46 cm の津波、10日 4時0分に全振幅 50 cm の津波を観測。[3]
この地震から約5ヶ月半後の1902年1月30日にも M 7.0 の地震が発生している。また、約2ヶ月前の1901年6月15日にも岩手県沖で M 7.2 の地震が発生していた。
- 1901年9月30日の地震
8月の地震から約1ヶ月半後の9月30日 19時19分に、岩手県沖(北緯40.2度 東経141.9度)を震央とする M 6.9 の地震が発生した。[3]
- 1902年1月30日の地震
1月30日 23時1分、青森県三八上北地方(北緯40.5度 東経141.3度)の深さ約 100 km を震源とする M 6.8 程度の地震が発生した[24]。三戸郡豊崎村で家屋倒壊焼失1棟、家屋破損 330 棟、死者 1 人、負傷者 2 人、堤防亀裂多し。中沢村・五戸村・小中野村などで壁亀裂などの被害。上北郡七戸村で家屋全壊 2 棟、田名部町で土蔵壁に亀裂。八戸でも家屋・土蔵の壁破損。[3][4]
1931年(昭和6年)
1931年(昭和6年)3月9日12時48分42秒に発生。震央は北緯40度09.3分 東経143度19.8分の三陸沖。Mは文献によって異なり、宇佐美(1998)、渡辺(1999)、宇津(1999)ではM 7.6、気象庁、2013年の地震調査委員会の報告ではMj 7.2[20]、金森カタログではMw 7.8となっている[21]。
北海道、青森県、岩手県で最大震度4を観測した。八戸市で壁の剥落等の被害があり、函館、青森でも被害があった。八戸で全振幅39cmの津波を観測した[20]。
震度3以上を観測した地点は次の通り[22]。
1935年(昭和10年)
1935年(昭和10年)10月18日9時11分49秒に発生。震央は北緯40度19.3分 東経144度22.2分の三陸沖で、Mj 7.1(Mt 7.3[20], Mw 7.2[21])の地震。
北海道、青森県、岩手県で最大震度3を観測した。八戸で全振幅20cmの津波を観測した[20]。
この地震では10月13日にMj 6.9(Mw 7.1[21])、最大震度3の地震が発生して以降、群発地震活動となりM5以上の地震が多発していた。有感地震は10月19日には落ち着いた。
震度3以上を観測した地域は次の通り[22]。
1994年(平成6年)
1994年(平成6年)12月28日21時19分20秒に発生。震央は北緯40度25.8分 東経143度44.7分の三陸沖で、気象庁発表のMj 7.6(Mw 7.8)の地震。
八戸市で最大震度6を観測した。津波の全振幅は久慈で170cm、津波高の最大は宮古市で55cm。被害のほとんどは青森県に集中し、家屋倒壊、死者3人の被害を出した[20]。1995年(平成7年)1月7日には北緯40度13.4分、東経142度18.3分の岩手県沖でMj 7.2の最大余震が発生した。
2026年(令和8年)6月
2026年(令和8年)6月25日7時30分ごろ、岩手県沖(北緯40度12.6分 東経142度18.2分)を震央とする Mj 7.2 (Mw 6.8 - 6.9[21]) の地震が発生した[26]。この地震で、青森県階上町で最大震度6強の激しい揺れを観測したほか[27]、隣接する八戸市でも震度6弱を観測し、青森県・岩手県・宮城県の東北3県(三陸地方)で震度5弱以上の強い揺れとなった[26]。
発震機構は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型であり、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した地震(プレート境界型地震)である[28]。
岩手県久慈港観測点(港湾局)で若干の海面変動を観測した[28]。また、GNSS観測によると、青森県八戸観測点が東南東方向に約2cm移動するなど、岩手県北部から青森県にかけて地殻変動が観測された[28]。
この地震は、1994年12月28日に起きた三陸はるか沖地震(M7.6)の震源域の西端付近における最大余震(1995年1月7日に発生・M7.2)とほぼ同じ場所で発生した[28][29]。さらに周辺では、2025年11月9日にM6.9の三陸沖地震、2025年12月8日にM7.5の青森県東方沖地震、2026年4月20日にM7.7の三陸沖地震が発生するなど、直近まで大きな地震が相次いで発生していた。2026年6月25日のこの地震も、これらの地震と同様に日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震の想定震源域内で発生したが、モーメント・マグニチュードが基準値に達していなかったため、2025年12月8日・2026年4月20日の地震では発表された「北海道・三陸沖後発地震注意情報」は発表されていない[30][31][32]。
この地震は2025年12月8日の地震と2026年4月20日の地震のちょうど間に当たる場所で発生したため、これら2つの地震の「割れ残り」のエリアで発生した可能性があるものと推定されている[33][34]。
GNSS観測によると、2026年4月20日の三陸沖地震後、およそ2ヶ月間にわたり岩手県を中心に余効変動とみられる水平変動が観測されており、余効変動から推定される余効すべりは、4月20日の三陸沖地震の活動域と今回の地震活動域のそれぞれ西側、東側で継続していたと考えられる。また、その周辺では、繰り返し地震の 解析から、非地震性すべりが継続していたと考えられる[28]。
今回の地震活動域を含む2025年11月以降の三陸沖から岩手県沖にかけての一連の地震活動域、そして1994年の三陸はるか沖地震の震源域及び2025年12月8日の青森県東方沖地震の活動域は、1968年の十勝沖地震の震源域内のそれぞれ南部・中部・北部に位置している[28]。
| 震度 | 都道府県 | 観測地点 |
|---|---|---|
| 6強 | 青森県 | 階上町道仏 |
| 6弱 | 青森県 | 八戸市南郷 |
| 5強 | 青森県 | 八戸市湊町・八戸市内丸・三戸町在府小路町 |
| 岩手県 | 普代村銅屋・盛岡市薮川・二戸市浄法寺町・八幡平市田頭・軽米町軽米 | |
| 5弱 | 青森県 | 三沢市桜町・野辺地町田狭沢・六戸町犬落瀬・東北町上北南・五戸町古舘・南部町苫米地・南部町平・おいらせ町中下田・おいらせ町上明堂 |
| 岩手県 | 久慈市川崎町・野田村野田・洋野町大野・盛岡市山王町・盛岡市渋民・二戸市福岡・葛巻町葛巻元木・岩手町五日市・一戸町高善寺・八幡平市大更・八幡平市叺田・八幡平市野駄・矢巾町南矢幅・紫波町紫波中央駅前・滝沢市鵜飼 | |
| 宮城県 | 登米市迫町 |
| 階級 | 地域 |
|---|---|
| 階級2 | 石狩地方南部・胆振地方中東部・十勝地方中部・青森県津軽北部・青森県三八上北・青森県下北・岩手県沿岸北部・岩手県内陸北部・岩手県内陸南部・宮城県北部・秋田県沿岸北部 |
| 階級1 | 石狩地方北部・渡島地方東部・後志地方東部・空知地方中部・空知地方南部・上川地方南部・北見地方・胆振地方西部・日高地方中部・日高地方東部・青森県津軽南部・岩手県沿岸南部・宮城県南部・宮城県中部・秋田県沿岸南部・秋田県内陸北部・秋田県内陸南部・山形県庄内・山形県最上・山形県村山・山形県置賜・福島県浜通り・福島県会津・茨城県南部・埼玉県北部・千葉県北西部・神奈川県東部・新潟県下越 |
この地震の発生により、日本国内において震度6強以上の激しい揺れを観測する地震は2021年から6年連続となった。青森県(八戸市)では、半年前の青森県東方沖地震でも震度6強を観測している。
なお、3日後の6月28日5時21分ごろにも、ほぼ同じ場所を震央とするMj 6.1の地震(余震)が発生し、青森県八戸市、岩手県普代村で最大震度5弱を観測した[36]。
岩手県沖中部
1928年(昭和3年)
1928年(昭和3年)5月27日18時50分24秒に発生。震央は北緯40度03.7分 東経142度58.3分の岩手県沖で、規模はMj 7.0(Mw 7.3[21])。地震調査研究推進本部ではMj 7.1-7.6の地震を評価対象としており[20][注 5]、この地震は評価対象に加わっていない。
青森県と岩手県で最大震度4を観測した。この地震の当日に震央の南東でM 5.0,M 5.3の地震が発生していたほか、活発な地震活動は6月2日頃まで続いた。 6月1日に三陸沖(北緯39度19.0分 東経143度10.6分)で発生したMj 6.6(Mw 6.8[21])の地震では本震よりも強い最大震度5が岩手県宮古市で観測されている[22]。
震度3以上を観測した地点は次の通り[22]。
1960年(昭和35年)
1960年(昭和35年)3月21日2時7分27秒に発生。震央は北緯39度35.7分 東経143度20.9分の三陸沖で、気象庁発表のMj 7.2(Mt 7.5[20], Mw 7.3[38] - 8.0[21])の地震。
青森県と岩手県で最大震度4を観測した。八戸市で水道管破裂2ヶ所、八戸駅陸橋の橋脚部欠損、岩手県二戸郡安代町で崖崩れなどの被害があった。このほか、青森県、岩手県、山形県でわずかな被害と地変を生じた。田老で50cm、釜石市両石で60cmの津波を観測した[20]。
前日の3月20日には震央の近傍でM 5.7、最大震度2の地震が発生していた。
震度3以上を観測した地点は次の通り[22]。
1989年(平成元年)
1989年(平成元年)11月2日3時25分33秒に発生。震央は北緯39度51.5分 東経143度03.2分の三陸沖で、気象庁発表のMj 7.1(Mt 7.6[20], Mw 7.0[38] - 7.4[21])の地震。
青森県と岩手県で最大震度4を観測し、三沢漁港で壁面の一部落下等の被害があった。北海道から茨城県にかけて津波を観測し、津波の全振幅は久慈で105cm、宮古で92cm、浦河で63cm、八戸で60cm、日立港で66cmなどで、津波高は宮古市で53cmなど[20]。
この地震では10月27日頃からM 5.0以上の地震が多発するような群発地震活動が発生しており、10月29日にはMj 6.5(Mw 6.9[21])の最大前震が発生していた。活発な地震活動はM 7.1の地震以降も続いた。
震度3以上を観測した地点は次の通り[22]。
2011年(平成23年)
2011年(平成23年)3月11日15時8分53秒に発生。震央は北緯39度49.2分 東経142度46.0分の岩手県沖で、気象庁発表のMj 7.4(Mw 7.4)の地震。青森県八戸市、岩手県盛岡市などで最大震度5弱を観測し、北海道から近畿地方にかけての広い範囲で有感となった。
この地震は東北地方太平洋沖地震の余震の一つであり、発震機構解から本震同様にプレート境界型地震であると推定される[39]。
気象庁による近地強震波形から求められた震源過程解析では、断層の大きさは約40×45kmで、主な滑りは初期破壊開始点(震源)よりも陸側の深い場所にあり、最大すべり量は約3.9mと求められた[40]。
Kubo and Nishikawa (2020)[41] による近地強震波形と測地データを併用して求められた震源過程解析では、断層の大きさは約50×60kmで、最大すべり量は約1.0mと求められた。Kubo and Nishikawa (2020) では、Yamanaka and Kikuchi (2004)[38]が行った1960年地震と1989年地震の震源過程解析を引用し、この二つと地震と本地震との類似性を指摘している。
はっきりとした観測記録は分からないものの、震源位置や深さ、規模、メカニズムから津波が発生したと考えられ、本震による津波の後続波に影響を与えたとみられる[42]。
震度4以上の地点は次の通り[22]。
| 震度 | 都道府県 | 震度観測点 |
|---|---|---|
| 5弱 | 青森県 | 八戸市内丸・八戸市南郷・七戸町森ノ上・東北町上北南・五戸町古舘・青森南部町苫米地・階上町道仏・おいらせ町中下田・東通村小田野沢 |
| 岩手県 | 普代村銅屋・盛岡市薮川・盛岡市渋民・二戸市浄法寺町・滝沢村鵜飼・矢巾町南矢幅 | |
| 4 | 北海道 | 新千歳空港・函館市泊町・函館市新浜町・むかわ町松風・新冠町北星町 |
| 青森県 | 青森市花園・青森市中央・平内町小湊・つがる市稲垣町・外ヶ浜町蟹田・藤崎町水木・八戸市湊町・平川市猿賀・十和田市西二番町・十和田市西十二番町・十和田市奥瀬・三沢市桜町・野辺地町田狭沢・野辺地町野辺地・七戸町七戸・六戸町犬落瀬・横浜町林ノ脇・横浜町寺下・東北町塔ノ沢山・六ヶ所村尾駮・三戸町在府小路町・五戸町倉石中市・田子町田子・青森南部町沖田面・青森南部町平・新郷村戸来・おいらせ町上明堂・むつ市金曲・むつ市金谷・むつ市大畑町中島・むつ市川内町・東通村砂子又沢内 | |
| 岩手県 | 宮古市鍬ヶ崎・宮古市五月町・宮古市田老・宮古市茂市・久慈市川崎町・久慈市長内町・山田町八幡町・田野畑村田野畑・野田村野田・岩手洋野町種市・大船渡市大船渡町・盛岡市山王町・盛岡市馬場町・二戸市福岡・二戸市石切所・雫石町千刈田・葛巻町葛巻元木・葛巻町消防分署・葛巻町役場・岩手町五日市・八幡平市大更・九戸村伊保内・花巻市大迫町・花巻市石鳥谷町・花巻市材木町・花巻市大迫総合支所・花巻市東和町・北上市柳原町・遠野市松崎町・一関市花泉町・一関市千厩町・一関市室根町・金ケ崎町町西根・平泉町平泉・西和賀町川尻・奥州市水沢大鐘町・奥州市水沢佐倉河・奥州市江刺・奥州市前沢・奥州市衣川区 | |
| 宮城県 | 気仙沼市赤岩・気仙沼市唐桑町・涌谷町新町裏・栗原市栗駒・栗原市築館・登米市中田町・登米市豊里町・南三陸町志津川・大崎市古川三日町・大崎市古川北町・丸森町鳥屋・松島町高城 | |
| 秋田県 | 井川町北川尻・秋田市雄和妙法・由利本荘市桜小路・由利本荘市前郷・由利本荘市西目町沼田・にかほ市平沢・大館市桜町・大館市中城・横手市雄物川町今宿・横手市中央町・横手市平鹿町浅舞・横手市大雄・秋田美郷町土崎・大仙市大曲花園町・大仙市刈和野・大仙市高梨・大仙市太田町太田 | |
| 山形県 | 酒田市飛鳥・中山町長崎 |
2026年 (令和8年)4月
2026年(令和8年)4月20日に三陸沖(北緯39度50.5分 東経143度09.4分)を震央とする MJMA 7.7 の地震が発生した。[43] Mwは 7.4 - 7.6 で、GNSS 観測では2011年3月11日の岩手県沖地震との類似性が指摘されている。[44]
岩手県沖南部
1678年(延宝6年)
1677年の地震から約1年半後の、1678年10月2日(延宝六年八月十七日)夜五ツ時(22時頃)発生。花巻にて城の石垣崩れ、御台所諸士の家も損傷。町屋15(一説に95)、土蔵5崩れる。死者一名。 白石城石垣5箇所、合計6.5軒(約12m)崩れる。秋田で家屋損傷あり。米沢で家屋破損。会津若松城小破。江戸で天水桶の水溢れる。 震央は北緯39.0度 東経142.5度、規模は M ≒ 7.5。[4]
1772年(明和9年)
1772年6月3日(明和九年〈安永元年〉五月三日)巳刻(午前10時頃)発生。花巻城所々破損・地割れあり。盛岡で城の石垣2箇所孕み出る、城下士屋敷・町屋・百姓家所々破損・地割れあり。遠野・宮古・大槌で落石・山崩れ等あり、死者11人、士屋敷・町屋・百姓家の破損あり。沢内でも山崩れで死者1人。中尊寺付近では転ぶほど揺れが強く、農民家の倒れ、壁崩れあり。三戸古城で少々石垣孕むなど。八戸で土蔵所々破損、堤割れ多し。高田で山崩れ、鹿又で町家17潰れるという。仙台東照宮で灯籠破損6。角館・日光・江戸・八王子で有感。沢内で当日に余震6~7回、五月十三・十四日に各5~6回、六月九・十四日に各1回。[4]
宇佐美・佐藤(1987)[45]では、震度分布が1987年岩手県沿岸北部地震に似ることから、震央は北緯39.35度 東経141.9度(大槌直下付近)、規模は M 6.75 ∓0.5 としている。 一方、羽鳥(1999)[46]は、田老・雄勝町などの町誌の地震年表には安永三年五月三日に南部藩沿岸で小津波の記載があることに着目し、これを安永元年の誤記と考え、震央を北緯39.5度 東経143.5度の三陸沖とした。その上で1772年地震の推定震度分布は、1987年地震や1960年三陸沖地震・1968年三陸沖地震と比べて、関東での震度が有意に大きいと考え、1994年三陸はるか沖地震と同クラスとして規模を M 7.5 とした。
1901年6月
1901年(明治36年)6月15日 18時34分、北緯39度 東経143度の岩手県沖が震央とされる M 7 の地震が発生した。この地震では津波が発生し、宮城県で苗代約50町歩(約50ha)が被害。[4]
1968年(昭和43年)
1968年十勝沖地震の本震約1か月後の1968年(昭和43年)6月12日に三陸沖(北緯39度23.7分 東経143度04.0分)を震央とする MJMA 7.2 の地震が発生し、青森県・岩手県・宮城県で最大震度4を観測した。[47]
1992年(平成4年)
1992年(平成4年)7月18日17時36分に三陸沖(北緯39度22.3分 東経143度40.4分)を震央とする MJMA 6.9 の地震[48]、約2分後の17時39分にも三陸沖(北緯39度24.4分 東経143度26.0分)を震央とする M JMA 6.9 の地震[49]が発生し、どちらも青森県・岩手県・宮城県などで最大震度3を記録した。
この地震の本震のMwは 6.9 程度であったが、本震後に約1日かけて Mw 7.3 - 7.7 に匹敵するすべりが発生・観測された。時間をかけて本震を大きく上回るすべりが解放されたこの現象はウルトラスロー地震 (英: Ultra-Slow Earthquake)と呼称された。[50][51]このスロー地震は、世界で初めてメガスラストで観測されたスロー地震となっている。
2025年(令和7年)
2025年(令和7年)11月9日に三陸沖(北緯39度24.1分 東経143度30.4分)を震央とする M JMA 6.9 の地震が発生し、岩手県と宮城県で最大震度4を観測した。[52] 震源周辺では同年11月4日より地震活動が活発な状態が続いており、11月9日の地震以降も地震活動が活発な状態が継続し、約4か月後の2026年3月26日にも MJMA 6.7 の地震が発生した。[53] 更に2026年4月20日には本地震の活動域北隣で MJMA 7.7 の地震が発生した。[44]
その他
1656年(明暦2年)
1656年4月16日(明暦二年三月二二日)酉刻(18時頃)発生。八戸城の御家蔵など戸障子破損、御土蔵の壁以下に振落つ。八戸で震度4か。盛岡・仙台で有感。[4]
1671年(寛文11年)
1671年(寛文十一年八月)卯刻(午前6時頃)発生。花巻で町屋十軒ほど倒れ、庇落ち多数。地震戌刻(20時頃)まで50~60回。[4]
1739年(元文4年)
1739年8月16日(元文四年七月十二日)暮六ツ時(18時半頃)発生。南部高森で特に強く、青森で蔵潰れる。八戸で諸士町家とも被害多し。八戸・弘前で七月二七日まで連日余震。震源・Mともに不詳(八戸沖?)。七月十四日から樽前山大噴火。[4]
1755年(宝暦5年)
1755年3月29日(宝暦五年二月十七日)申刻(16時頃)発生。八戸殿中並びに外通破損あり、南宋寺の廟所も破損。三月五日~九日にも地震。津軽・盛岡・軽米・大槌で有感。[4]
1767年(明和4年)
1767年5月4日(明和四年四月七日)朝四ツ過ぎ(午前11時頃)発生。青森の記録で鬼柳で潰家1、焼失20余とされる。仙台で壁落など小損、慈生君の石碑倒れ、石灯篭倒れる。奥筋で地割れ泥水出る由。津軽・青森・八戸・盛岡・花巻・角館・南村山郡・江戸・八王子・甲府・佐原などで有感。強く感じたところ多く、八,九日にも余震。震源は三陸沖か。[4]
1768年(明和5年)
1768年9月8日(明和五年七月二八日)酉刻(18時頃)発生。二九日にも2回の地震あり、二九日の地震で八戸で家屋・堀等の被害少なくなく。和賀郡沢内で震動強し。被害記録少し。[4]
1770年(明和7年)
1770年5月27日(明和七年五月三日)卯刻(午前6時頃)発生。盛岡で所々破損。人馬の死多く、江戸で有感。資料少なく要再考。[4]
1782年(天明2年)
1782年9月21日(天明二年八月十五日)巳刻(午前10時頃)発生。八戸で諸士商家の被害少なからず。被害は大雨によるか地震によるか不明。津軽でも震動強し。大迫・江戸で有感。[4]
1821年(文政4年)
1821年9月12日(文政四年八月十六日)昼九ツ時(正午頃)発生。青森で小店の屋根落ち子供一人死亡。八戸で蔵・役所・寺の石塔に痛みあり。鶴岡・川俣まで有感。[4]
1858年(安政4年)
1858年1月13日(安政四年十一月二九日)戌の刻(20時頃)発生。『多志南美章』に「蔵の可成の痛にて…」という記事がある。弘前・鰺ヶ沢・八戸・三戸・宮古・花巻・大館・上山・相馬・水戸・土浦・鹿沼・太田・江戸で有感。特に相馬・土浦・太田・江戸では長く揺れたという。三陸沖の地震?[4]
