能代地震
From Wikipedia, the free encyclopedia
宝永の地震
宝永元年(1704年)5月27日羽後津軽を震源とするM7前後の地震で岩館地震[5]、能代北方地震[2]とも呼ばれるが、10年前の地震に続いて発生していることや被害状況からこちらも俗に能代地震と呼ばれる。被害は焼家約2千戸、死者約70人余とする記録もある[6]。各地で山崩れが起こり青森県深浦町では川がせき止められたことで十二湖が生じた。
10年前の震災から復興したばかりの野代は1,250戸のうち倒壊435戸、焼失758戸という壊滅的な被害を受け、58人が死亡した。この度重なる震災に悲嘆した人々は、古名ヌシロに当てた野代という字が野と代わると読めることを忌避し、能く代わる(よくかわる)と読める「能代」に改名した。偶然にもこの改名以降1983年の日本海中部地震まで能代では大きな地震の被害は発生しなかった。
出典
- 今村明恒:能代と地震 地震 第1輯 Vol.13 (1941) No.8 P.245-254, doi:10.14834/zisin1929.13.245
- 今村明恒:古代の比内地震、特に埋沒家屋中より發見せる一器具によりて推定せらるゝ該地震の年代に就て (昭和十八年一月十二日報告、Proceedings, vol. 19, pp. 29-30參照) 帝國學士院紀事 Vol.2 (1943) No.2 P.329-345, doi:10.2183/tja1942.2.329