Wikiwand AI

那須温泉郷

栃木県那須町にある温泉 From Wikipedia, the free encyclopedia

那須温泉郷(なすおんせんきょう)は、栃木県那須郡(旧国下野国那須町に散在する温泉の総称(温泉郷)。日光国立公園内の那須岳茶臼岳)南麓に点在する8つの温泉地をいう[1]。同じ那須岳南麓には皇室が静養に訪れる那須御用邸がある。

座標 北緯37.12406度 東経139.99636度 / 37.12406; 139.99636
交通 黒磯駅または那須塩原駅よりバス。那須ICから車で約30-45分。
※詳細は、#交通を参照。
概要 那須温泉郷, 温泉情報 ...
那須温泉郷
那須温泉郷の位置(北関東内)
那須温泉郷
北関東における位置
温泉情報
所在地 栃木県那須郡那須町
座標 北緯37.12406度 東経139.99636度 / 37.12406; 139.99636
交通 黒磯駅または那須塩原駅よりバス。那須ICから車で約30-45分。
※詳細は、#交通を参照。
泉質 硫黄泉単純泉炭酸水素塩泉など
宿泊施設数 349
総収容人員数 21943 人/日
年間浴客数 約490万人
統計年 2003年
外部リンク 那須温泉旅館協同組合
テンプレートを表示
閉じる

歴史

栃木県那須郡那須町湯本に鎮座する温泉神社延喜式神名帳にある下野国那須郡温泉(ゆの)神社の論社として知られ、同社社伝(伝承)に基づくと那須温泉の開湯(鹿の湯)は飛鳥時代の西暦630年となる[2][3]。この舒明2年(西暦630年)に狩野三郎行広が鹿の湯(元湯)を発見したことに始まるという[4]

那須は「温泉神社(おんせんじんじゃ、ゆぜんじんじゃ)」や「湯泉神社(ゆぜんじんじゃ)」など温泉を祀る社が80社ほどある温泉信仰の極めて篤い地域であり、六国史のひとつである『日本三代実録』には従四位上勲五等下野国温泉神の記述が見られ、平安時代の西暦863年貞観5年)頃までに、日本政庁にとっての重要温泉場のひとつに位置付けられていたことが分かる[5][6]

1851年嘉永4年)2月発行の「諸国温泉功能鑑」では、那須温泉は東の大関草津温泉に次ぐ関脇に位置している

なお、これより遡る奈良時代の西暦738年天平10年)には、従四位下の小野牛飼湯治那須湯(なすのゆ)に行くため、従者12人と都から下り駿河国を通った記録が正倉院文書の「駿河国正税帳」に見られ、奈良時代には既に中央官人が那須温泉を湯治場として認知していたことが分かる[2][7]

鎌倉時代に成立した『平家物語』では、源義経の徽下にあり屋島の戦いではその下知を受けた那須与一が敵船上に揺れる扇の的を射当てる際に「南無八幡大菩薩、別にしては我国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の温泉大明神、願わくば、あの扇の真ん中射させてたばせ給え」と祈念した、という説話に「那須の温泉」が登場する[8]

江戸時代前期には俳人松尾芭蕉殺生石を訪れ塩原温泉郷と並んで那須地域の顔となり、江戸時代後期から明治時代に庶民の間で流行した「温泉番付」では、諸々の番付において東の大関草津温泉に次ぐ東の関脇に位置付けられた[9][10]

太平洋戦争前に鉄道省が出版した「温泉案内」にて那須温泉郷と紹介された。

郷内の温泉

江戸時代までに鹿の湯(元湯)である那須湯本温泉のほか、板室いたむろ温泉三斗小屋さんとごや温泉大丸おおまる温泉、北温泉、弁天温泉、高雄温泉が次々と発見され、これらが那須七湯と称されていた[4]。その後、明治時代に八幡やはた温泉、大正時代に旭温泉、飯盛温泉、郭公かっこう温泉が発見され、さらに大丸温泉からの引湯により新那須温泉ができ、これらを総称して那須十二湯と呼ぶこともあった[4]

那須十二湯のうち板室温泉(那須塩原市)は那須町の各温泉からは地理的にやや離れていることから、那須町にある温泉を指して那須十一湯と呼んだ[4]。このうち郭公温泉、飯盛温泉、旭温泉については宿や温泉の設備が現存しておらず、那須湯本温泉、大丸温泉、弁天温泉、北温泉、八幡温泉、高雄温泉、三斗小屋温泉の7つで那須七湯、これに新那須温泉を加え那須八湯と呼ぶこともある[4][11]。 なお、周辺の温泉地との関係では、那須温泉郷、塩原温泉郷、板室温泉郷に分けられることもある[12]

それぞれの温泉で効能・泉質が異なるため、湯めぐりが楽しめる。

About OpenStreetMaps
Maps: terms of use
2km
1.2miles
那須湯本温泉
黒磯駅
三斗小屋温泉
高雄温泉
八幡温泉
北温泉
弁天温泉
大丸温泉

那須湯本温泉

九尾の狐伝説で有名な殺生石近くにある温泉街。那須温泉郷で最も古く、温泉神社を中心に温泉街を形成している。那須温泉郷のシンボル的共同浴場「鹿の湯」がある。

鹿の湯
歴史
開湯伝説によれば630年頃、鹿が温泉で傷を癒しているところを発見したとされ、共同浴場の名前にその由来が残る。
江戸時代黒羽藩が管理し、また松尾芭蕉奥の細道の途中で那須湯本温泉に宿泊している。
1858年安政4年)に温泉街を流れる湯川左岸が氾濫して温泉街が壊滅し、現在の右岸高台側に移転した。
泉質
硫化水素泉、酸性明礬泉、等

新那須温泉

1923年(大正12年)に大丸温泉の源泉からの引き湯に成功、那須湯本温泉の南に旅館が開業し、一帯が新那須温泉と呼ばれるようになった[13]

大丸温泉

車で行ける那須温泉郷の中では最も奥まった標高の高い場所に位置する温泉で、奥那須温泉とも呼ばれる。那須ロープウェイ山麓駅近くの白戸川沿いにあり、温泉となっている白戸川をせき止めた露天風呂「川の湯」がある。那須御用邸に注ぐ湯の元湯は、川下にある地蔵の湯温泉から湧いている[11]。1軒宿の『大丸温泉旅館』が存在し、館内に飲泉場がある。また、源泉の3分の2が1軒宿に、残り3分の1が那須御用邸に引湯される[14]

歴史
1691年元禄4年)に発見されたと伝えられる[11]。明治時代の軍人・乃木希典夫妻がよく訪れた宿『大丸温泉旅館』もあり、ロビーには直筆の書や日記などがいくつか展示されている[14]
泉質
単純泉、泉温摂氏73度、pH64、溶存869㎎(非解離成分としてメタケイ酸260㎎含有)。飲泉することにより胃腸病に効果がある[14]

弁天温泉

天保年間には温泉場としての記録があり、1884年(明治17年)に1軒宿の創設者が弁財天のお告げにより再発見したという[11]。1軒宿はコロナ禍により休業し、そのまま再開することなく2023年に倒産、廃業した。[15]

泉質
単純泉

北温泉

余笹川の谷合にあり、県営の無料駐車場から遊歩道で渓谷と絶景を見ながら5分程下りた先にある1軒宿の温泉。駐車場から離れているのは、先代が車の排気による景観破壊を懸念したためという。湯量も豊富で、プールのように大きな露天風呂「泳ぎ場」や、山伏修験場であったことから至るところに天狗の面が飾られている「天狗の湯」があり、天狗温泉とも呼ばれる。木造3階建ての建物は、江戸安政年間、明治、昭和の建物が渾然と一体となってレトロな雰囲気を醸し出している[11]映画テルマエ・ロマエ』のロケ地となった。

歴史
1696年(元禄9年)に発見され、源泉の岐路が多いことから「岐多温泉」と記された暖簾が残っている[11]
第二次世界大戦前後には多くの兵士が訪れており、写真や勲章が飾られている。
つげ義春と水木しげる
昭和40年代にはつげ義春が好んで訪問したが、水木しげるを案内したことがあり、当時の女将が20代後半くらいの美人で、その女将と水木しげるの弟が混浴をしたということが宿で話題になった。つげと水木はプールの大きな浴槽にいたため、そのことに気づかず水木は大変残念がった。後につげは本の仕事で再訪するが、女将は世間話の最中に何のためらいもなく服を脱いでさっさとお風呂に入っていったことに驚いたという。後年、外観を改築した際に、木造の趣を残すよう木に似せた新建材を使用し、迷路のような入り組んだ暗い宿の内部も、木造のままの巨大な温泉プールもその後も後年に至っても昔の風情を残しているのは、この女将の考えではないかとつげは推測している。つげは夜の巨大プールのイラストを残している[16]
泉質
単純泉、弱食塩泉鉄泉

八幡温泉

1890年(明治23年)白戸川河岸から湧出した温泉を木管で八幡崎まで引き湯した温泉[11]。毎年5月中旬から6月上旬にかけ、20万本ものツツジ群生が眺望できる1軒宿があったが、2016年に廃業した。

泉質
単純泉

高雄温泉

高雄股川の傍らに位置し、高雄股温泉とも呼ばれる。 かつては廃業した1軒宿跡に無料で入れる野湯が存在した。現在は別経営者が1軒宿を営業している。[11]

歴史
万延年間(1860年1861年)に発見されたと伝わる。当時は「温泉様の湯」と神聖視されて浴用に供されなかったが、その後、山伏の沐浴の場となり「御行の湯」と称された。[11]
泉質
硫酸塩硫化水素泉

三斗小屋温泉

那須ロープウェイ山頂駅から茶臼山を越えた山奥にあり、徒歩でしかたどり着けない。他の温泉からは離れた那須塩原市の飛び地で、宿は2軒ある。[11]

歴史
1142年康治元年)に発見されたと伝わる。
1695年(元禄8年)に会津中街道が整備されると、三斗小屋宿が設けられて賑わった。[11]
泉質
単純泉

交通

公共交通機関を利用して訪れる観光客の那須内のアクセスを向上するため、那須高原観光周遊バス道の駅那須高原友愛の森を基点に那須温泉郷や那須高原の観光施設(那須サファリパーク南ヶ丘牧場、那須湯本温泉、那須高原りんどう湖ファミリー牧場など)を周回運行している。

周辺のみどころ

那須湯本温泉には那須温泉神社殺生石がある。那須温泉神社境内には那須温泉の発見者と伝えられる狩野行広を祀る見立神社など境内社が複数座す。温泉神社と殺生石は散策道でつながっている。殺生石から車または路線バスでボルケーノハイウェイ(旧有料道路、現在は無料)を登ると、つつじ吊橋(渓谷にかかる歩行者用つり橋)、八幡のつつじ群落那須高原恋人の聖地展望台、大丸温泉、那須ロープウェイ山麓駅(路線バスはここまで)を経て峠の茶屋駐車場に至る。ロープウェイ利用で茶臼岳まで1時間程度、峠の茶屋から徒歩で2 - 3時間前後で茶臼岳、朝日岳三本槍岳に登頂できる。那須岳の斜面はヤシオツツジの名所であり、特に湯本温泉から大丸温泉の間(弁天温泉周辺)は、初夏には一面真っ赤に染まるほどに咲く。ツツジの群落の中に遊歩道があり、歩きながらゆっくり花を堪能できる。北温泉から30分ほど朝日岳方面へ登った登山道沿いには白い花の咲くシロヤシオの群落がある。ツツジと言えば普通樹高2 - 3mの灌木だが、ここのヤシオツツジは幹の直径10 cm以上樹高5 m以上の大木が多い。那須温泉郷から下った山裾は那須高原として数々の観光地がある。

2011年平成23年)5月22日那須御用邸の約半分の面積の敷地が那須平成の森として一般開放された。八幡温泉から北西に1kmほどいった位置に中心施設である那須平成の森フィールドセンターがある。

参考資料

関連項目

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks