弁天町 (函館市)

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弁天町(べんてんちょう)とは、北海道函館市の町丁。同市旧市街地にある西部地区函館山山麓にあり函館港に面した西端にある。郵便番号は040-0051[1]

箱館(現在の函館市旧市街地)では一番古い町とされる。津軽南部漁師が春から秋まで出稼ぎ漁の拠点としていた。弁天堂(現・厳島神社)があり、亀田八幡宮の神官が出張してきて豊漁の祈願をしていた。この弁天堂が町丁名の由来である。弁天堂自体は弁天台場の構築や函館港改良工事により位置は移動している[2]。 かつては同町(旧・弁天)と山背泊(現・入舟町)付近を外澗、末広町付近を内澗と呼んだ。龜田が衰微した頃に外澗に舟がつくようになった[3]

旧町丁の概要

幸町
弁天町の人々が町の発展を願って埋め立てをし始めたが資金不足に陥り杉浦嘉七が引き継いで1875年(明治8年)完成させた。「将来幸多かれ」から命名[4]
鍛冶町
大黒町
西浜町
喜楽町
浜町
仲町
台場町
弁天台場があったところ[5]

交通

北海道道457号函館漁港線が町域の中央を縦貫する。道道上には函館市企業局交通部が運営する函館市電が通っているが同町内には停留場はなく、隣の入舟町に函館どつく前停留場が所在する。山側に並行する山手通には函館バスの路線があるがこちらも停留所はない。

今でこそ地域交通は隣町に頼っているが歴史を紐解くと、函館の路線バス事業の祖の一つである運送業の高木荘治は同町の住人。1928年(昭和3年)1月25日に運行を開始したが1930年(昭和5年)3月に函館水電に事業譲渡(函館市交通局の函館市営バスを経て函館バス)。翌1931年(昭和6年)、赤川乗合自動車として現在の函館市亀田支所管内、のちに臨港バスに改め現在の北斗市でも事業を行った(こちらも函館バス)[6][7]

大正時代の中頃、函館どつく前停留場から高龍寺前まで路面電車を延伸する構想があったが実現しなかった[8]

主な施設

脚注

参考文献

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