2003年に2次1ラウンド指名を受けて入団するが活躍の場面は少なく、2005年に馬海泳と崔尚徳と共に大型トレードでLGツインズに放出された[1]。
トレード後には直ちに入隊し、兵役を終えた2007年に除隊されてチームに復帰した。
復帰後の2008年9月25日にはSKワイバーンズ戦で左右打席ホームランを放ち、2年後の2010年5月12日のハンファ・イーグルス戦も再び左右打席ホームランを打った。同じ日に左右の打席でホームランを2回打った選手は彼が最初である(2020年にメル・ロハス・ジュニアが達成)。また、内野のどこでも守れる器用さを買われて様々な機会で出場した。
2011年6月11日の古巣起亜戦では6打席5打数4安打1本塁打1四球2打点の活躍を見せた。しかし同年8月に肘を故障して手術を受けた。
2012年は前年に続いて100試合に出場したが、成績はやや下降したため翌年4月24日に崔敬哲とのトレードでネクセン・ヒーローズに移籍した[2]。
2度目のトレード後は廉京燁監督の指示のもと、打率が2割8分を超えるまで左打席のみでの打撃に専念するようになった。5月8日にはトレードされた後初めて1軍に登録されスタメン出場した。 偶然にも相手チームは古巣のLGツインズであり、打席に入る前にはLGツインズ側にヘルメットを脱いで挨拶し、当時のLGのコーチングスタッフ、LGの選手達、そしてLGファン達は拍手を送った[3]。移籍後初の打席ではかつて同僚だった禹奎珉と対戦し、その打席で決勝点となる適時三塁打を放ち試合を決めた。また同年6月29日にはハンファ・イーグルス戦で林起映から移籍後初本塁打を放った。
2013年シーズン中はずっと内野の全ポジションをこなせるユーティリティープレイヤーとしてチームに貢献し、特にシーズン後半には左翼手でもしばしば出場した。 シーズン打率2割台、7本塁打、21打点を記録してバックアップ選手として悪くない成績を記録した。
同年はデビュー後初めてポストシーズンに出場し、プレーオフでは主に2番左翼手として出場して優れた作戦遂行能力を見せた[4]。2014年6月には自身初となる捕手での出場もした。
2015年オフにフリーエージェント権を行使した。
2016年4月6日、かつて在籍していた起亜と契約し復帰した。復帰後はもっぱら左打席のみに入るようになり、右打席に立つことは滅多になくなっている。また、復帰後の応援歌は車一木の応援歌を流用したものだった[5]。
2018年は若手の台頭と故障により出場機会が激減。32試合の出場で4年ぶりに本塁打0に終わるなど、あまりいい成績は残せなかった。
2019年は怪我が長引き、プロ入り後初めての一軍出場なしに終わりシーズン閉幕直前に現役を引退した。
引退後は指導者に転身し、2020年より起亜の打撃コーチに就任するも2021年シーズン終了後に起亜とのコーチ契約を終了[6]。