従野孝司
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最初は2輪モトクロスからレース活動を開始。実兄である片山義美が主宰した神戸木の実レーシングに所属し、カワサキのワークスライダーとして活躍。神戸木の実には後に4輪でもライバルになる星野一義や歳森康師たちが在籍していた。
1970年鈴鹿シルバーカップレースで4輪レースデビューウィン。当初は兄・片山が経営するレースショップ、片山マツダスポーツコーナーでプライベーターとして活動する。1972年にマツダ・サバンナRX-3で全日本T-2レースでチャンピオンを獲得。1973年から、兄・片山が所属するマツダと契約。1977年富士ロングディスタンスシリーズチャンピオン、1979年デイトナ24時間レースクラス優勝、1983年ル・マン24時間レース部門優勝などマツダのワークスドライバーとして活躍する[1]。
サバンナRX3などのツーリングカー、富士グランチャンピオンレース、グループ5仕様のRX-7、グループCカーによるル・マン24時間など、ロータリーエンジンのマシンで活躍することが多かった。ル・マン24時間レースには通算11回出場した。1992年、バブル崩壊でマツダがレース界でのワークス活動から撤退して以降は表立ったレース参戦が無くなり、1995年の鈴鹿1000kmにクッズマツダDG-3(マツダスピード、チームメイトは寺田陽次郎、フランク・フレオン)で参戦したのを最後に引退した。
マシンの開発能力に優れたレーシングドライバーで、マシン挙動を正確にエンジニアに伝えるとともに、自らのアイディアをマシン開発に反映させていた。特にマシンセッティングを変更した場合は、その変更内容がタイムに確実に反映されるレーシングドライバーであった[1]。