惣川駅
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1884年(明治37年)、ウィルキンソンタンサン鉱泉宝塚工場の開設に伴い、炭酸水の積出し場として阪鶴鉄道宝塚駅と生瀬駅の間に仮設された。大正期、鉄道院時代には正式な駅に昇格して旅客営業を行っているが、再び貨物駅に戻り、主として大阪砕石工業所宝塚工場で製造される砕石の積み出しを行った[1]。1979年(昭和54年)に貨物駅務の北伊丹駅への集約により廃止される。
- 砕石の出荷
惣川駅から積み出される砕石は主に鉄道建設のバラストに使用され、東は東海道線草津駅、西は山陽本線神戸駅以西にまで運ばれた[1]。1938年(昭和13年)4月の砕石工場開設から長らく手押しのトロッコを使って貨車に積み込みを行っていたが、1955年(昭和30年)に大阪砕石工業所が引込線を複線化して鉄道輸送専用の積込ホッパーを建設[2]、1962年(昭和37年)7月からは東海道新幹線建設に向けた出荷が始まり、1日2便であった工事用臨時列車が3便に増便し、50両以上の貨車に砕石を積み込み搬出した。大阪砕石工業所は東海道新幹線新大阪 - 名古屋間を担当し、宝塚・高槻の2工場から35万立方メートルの砕石を納入した[3]。また、山陽新幹線の建設にも惣川駅から積み出した砕石が使用された[1]。2020年(令和2年)現在、長尾山の石材を掘り尽くし、惣川側線からの出荷は終了している[4]。
歴史
- 1884年(明治34年)4月17日:阪鶴鉄道宝塚停車場から44チェーン(885.1メートル)の位置に側線を敷設し、積取場を仮設。宝塚側線と呼称する[5]。
- 1907年(明治40年)8月1日:国有化により官設鉄道に移管。
- 1910年(明治43年)7月1日:阪鶴線(当時)の宝塚側線と鉄道院の各駅間で車扱貨物の運用を開始。貨車の行先や積荷を示す車票には、発駅もしくは着駅欄に生瀬駅と記入し、宝塚側線と付記するよう通達される。当時はウヰルキンソン側線とも俗称されていた[6]。
- 1913年(大正2年)
- 1926年(大正15年)3月15日:旅客営業を廃止し貸切貨物専用駅に変更[9]。
- 1938年(昭和13年)4月:川辺郡小浜村字長尾山で大阪砕石工業所宝塚工場が操業を開始[10]。
- 1940年(昭和15年)6月:惣川駅砂利線新設[11]。
- 1941年(昭和16年)6月10日:惣川駅の管理が生瀬駅長から宝塚駅長に変更される[12]。
- 1955年(昭和30年):大阪砕石工業所が引込線を複線化し、鉄道専用ホッパーを設置。前年の工場プラントを増設に伴うもの[2]。
- 1962年(昭和37年)7月:大阪砕石工業所が東海道新幹線の建設工事のための砕石の出荷を開始。[3]。
- 1979年(昭和54年)7月1日:惣川駅および伊丹駅、川西池田駅、宝塚駅の貨物業務を北伊丹駅に集約。貨物駅から側線に戻る[13]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:福知山線の複線電化工事が竣工。第一武庫川橋梁の架け替えに際して生瀬寄り分岐器が撤去された[14]。
- 2004年(平成16年)2月10日:大阪砕石工業所が宝塚工場の移転工事を起工[15]。
- 2020年(令和2年)大阪砕石工場所の事業案内に宝塚工場での原石採取終了を掲載[4]。
