指扇領辻
埼玉県さいたま市西区の大字
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地理
歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する辻村であった[5]。 村高は正保年間の『武蔵田園簿』では83石余(田15石余、畑67石余)、『元禄郷帳』や『天保郷帳』によると55石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は10軒で、村の規模は東西1町、南北11町余であった[5][7]。地名は平方道と川越道が地内を通り、道の分岐点の意味があると云われている。荒川に下谷原入会地を領していた[5]。
- 1590年(天正18年)の知行は旗本三宅氏、1596年(慶長元年)より幕府領[5]となる。なお、検地は1694年(元禄7年)、入会地の検地は1744年(延享元年)に実施。
- 1623年(元和9年)より知行は旗本山内氏、1689年(元禄2年)より幕府領[5]となり幕末に至る。
- 1828年(文政11年)より上尾宿寄場64か村組合に所属していた[5]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・大竹左馬太郎支配所)[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、指扇領を冠称し、指扇領辻村となった[5]。北足立郡(現さいたま市内)には南部領辻や辻村が存在していたため混同を防ぐ目的があった。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、指扇村・宝来村・峰岸村・内野本郷村・西新井村・中釘村・清河寺村・高木村・指扇領別所村・指扇領辻村が合併し、指扇村が成立。指扇村の大字指扇領辻となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 指扇村・馬宮村・植水村・片柳村・七里村・春岡村が大宮市へ編入合併され[9]、大宮市の大字となる。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市西区の大字となる。
辻村に存在していた小字
- 北[10]
- 南
- 根岸
- 流(ながれ)
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[11]。
| 区域 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | さいたま市立指扇北小学校 | さいたま市立指扇中学校 |
交通
地区内に鉄道は敷設されていないが、東日本旅客鉄道(JR東日本)川越線の指扇駅が近い。
道路
- 埼玉県道57号さいたま鴻巣線 - 旧県道井戸木中野林浦和線[6]
- 秋葉通り
バス
指扇駅北口方面の路線バスが運行されている。さいたま市コミュニティバスは峰岸方面へ運行されないが、替わりにさいたま市西区指扇地区乗合タクシー「あじさい号」の運行を実施している。