斎藤久雄

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斎藤 久雄
誕生 1903年
死没 1992年
職業 文学者
言語 日本語
ドイツ語
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
最終学歴 東京帝国大学文学部卒業
主題 論説
評論
主な受賞歴 ドイツ語学文学振興会感謝状
所属 静岡高等学校
静岡大学
静岡女子大学
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斎藤 久雄(さいとう ひさお、1903年明治36年〉 - 1992年平成4年〉)は、日本文学者ドイツ文学)。静岡大学名誉教授

静岡高等学校、静岡大学での勤務を経て、静岡女子大学学長(第2代)などを歴任した。

山梨県出身のドイツ文学者である。ノヴァーリスの作品の翻訳を手掛けたことで知られている。静岡高等学校[1]、および、その後身の静岡大学にて教鞭を執った。静岡女子大学では学長に就任するなど[2]静岡県における女子教育の充実に尽力した。

来歴

生い立ち

1903年(明治36年)に生まれ[3]、山梨県にて育つ[4]。1926年(大正15年)に東京帝国大学に入学し[4][† 1]文学部ドイツ文学科にて学んだ[4]

文学研究者として

その後はドイツ文学の研究者として活動する。また、教育・研究機関の要職を歴任し、後進の育成に努めた。旧制の静岡高等学校に勤務し[1][† 2]、静岡高等学校が改組されて発足した静岡大学においても勤務した。のちに静岡大学から名誉教授の称号を授与されている[5]。1969年(昭和44年)5月には静岡女子大学にて学長に任命された[6][† 3]。その後の学長選挙においても再選され[6]、1973年(昭和48年)5月より学長を続投した[6]。さらに学長選挙で三選を果たし[6]、1975年(昭和50年)5月よりさらに学長としての任期を延長した[6]。学長在任中には講堂兼体育館の新築に着手し[6]、竣工まで漕ぎ着けている[6]。なお、斎藤の後任の学長には1977年(昭和52年)5月に森主一が就任している[6]。1992年(平成4年)に死去した[3]

研究

専門は文学であり、特にドイツ文学などの分野において研究に従事した。また、ノヴァーリスの小説やルイーゼ・リンザーの小説の翻訳を手がけている。たとえば、1938年(昭和13年)には『夜の讃歌と青い花』を上梓しており[7][8]、『夜の讃歌』や『青い花』といった作品を掲載するとともに[8]、ノヴァーリスの生涯についての分析や作品の解題なども盛り込んでいる[8]。また、ノヴァーリスがゾフィー・フォン・キューン没後に自殺しようとしたことと、のちにユーリエと結婚したこととの間に矛盾を見出しており[8]、その理由についても論じている[9]。ノヴァーリスの詩だけでなく童話の翻訳にも携わっており、斎藤が訳して建石修志が絵を手掛けた『ノヴァーリス童話集』も出版されている[10]。なお、ヴィル・ヴェスペルの著書も翻訳している[11][12]

ドイツ語学やドイツ文学において長年に亘り顕著な功績があったとして、1987年(昭和62年)にドイツ語学文学振興会感謝状を授与されている[13]

人物

庭球の愛好家として知られている。静岡高等学校勤務時には学生らに庭球も指導していた[1]。静岡県テニス協会が発足すると初代会長に就任している[5]静岡県立藤枝東高等学校校長などを務めた教育者の渡辺福太郎は、静岡県において庭球を普及振興させた人物の一人として斎藤を挙げており[1]、「旧制静高グループに麻生武雄(一九〇一~ )、現会長の斉藤久雄(静岡女子大学長、一九〇三~ )がおり、大地忠雄らとともに今日の基礎を築いた」[1][† 4]と評している。

顕彰

斎藤の功績を記念して「斉藤杯争奪静岡テニストーナメント」[14][† 5]が設けられており[5]、静岡県テニス協会と静岡大学公式庭球部が主催している[14]

略歴

賞歴

  • 1987年 - ドイツ語学文学振興会感謝状[13]

著作

単著

  • Kleines Deutsches Lesebuch, von H. Saito, Nankodo, 1953. NCID BA46150027

編纂

解説・註釈

翻訳

脚注

関連項目

関連人物

関連文献

外部リンク

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