斎藤久雄
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来歴
生い立ち
1903年(明治36年)に生まれ[3]、山梨県にて育つ[4]。1926年(大正15年)に東京帝国大学に入学し[4][† 1]、文学部のドイツ文学科にて学んだ[4]。
文学研究者として
その後はドイツ文学の研究者として活動する。また、教育・研究機関の要職を歴任し、後進の育成に努めた。旧制の静岡高等学校に勤務し[1][† 2]、静岡高等学校が改組されて発足した静岡大学においても勤務した。のちに静岡大学から名誉教授の称号を授与されている[5]。1969年(昭和44年)5月には静岡女子大学にて学長に任命された[6][† 3]。その後の学長選挙においても再選され[6]、1973年(昭和48年)5月より学長を続投した[6]。さらに学長選挙で三選を果たし[6]、1975年(昭和50年)5月よりさらに学長としての任期を延長した[6]。学長在任中には講堂兼体育館の新築に着手し[6]、竣工まで漕ぎ着けている[6]。なお、斎藤の後任の学長には1977年(昭和52年)5月に森主一が就任している[6]。1992年(平成4年)に死去した[3]。
研究
専門は文学であり、特にドイツ文学などの分野において研究に従事した。また、ノヴァーリスの小説やルイーゼ・リンザーの小説の翻訳を手がけている。たとえば、1938年(昭和13年)には『夜の讃歌と青い花』を上梓しており[7][8]、『夜の讃歌』や『青い花』といった作品を掲載するとともに[8]、ノヴァーリスの生涯についての分析や作品の解題なども盛り込んでいる[8]。また、ノヴァーリスがゾフィー・フォン・キューン没後に自殺しようとしたことと、のちにユーリエと結婚したこととの間に矛盾を見出しており[8]、その理由についても論じている[9]。ノヴァーリスの詩だけでなく童話の翻訳にも携わっており、斎藤が訳して建石修志が絵を手掛けた『ノヴァーリス童話集』も出版されている[10]。なお、ヴィル・ヴェスペルの著書も翻訳している[11][12]。
ドイツ語学やドイツ文学において長年に亘り顕著な功績があったとして、1987年(昭和62年)にドイツ語学文学振興会感謝状を授与されている[13]。
人物
顕彰
略歴
賞歴
- 1987年 - ドイツ語学文学振興会感謝状[13]。
著作
単著
- Kleines Deutsches Lesebuch, von H. Saito, Nankodo, 1953. NCID BA46150027
編纂
- Luise Rinser著、斎藤久雄編『Ein Septembertag』南江堂、1966年。NCID BA72373346
- Luise Rinser著、斎藤久雄編『人生相談』朝日出版社、1967年。NCID BA72342193
解説・註釈
- Luise Rinser, Nina erzählt... aus "Mitte des Lebens", erläutert von H. Saito, Nankodo, 1964. NCID BB24907516
- Luise Rinser著、斎藤久雄編注『Gespräch von Mensch zu Mensch』南江堂、1977年。NCID BA81288871
- Luise Rinser著、斎藤久雄編注『Gespräche über Lebensfragen』南江堂、1977年。NCID BA81289091