日産・R90CK
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |||||||||||
| カテゴリー | グループC | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| コンストラクター | ローラ・カーズ | ||||||||||
| 先代 | 日産・R89C | ||||||||||
| 主要諸元 | |||||||||||
| シャシー | カーボン モノコック | ||||||||||
| サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン プッシュロッド | ||||||||||
| サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン プッシュロッド | ||||||||||
| 全長 | 4,790 mm | ||||||||||
| 全幅 | 1,990 mm | ||||||||||
| 全高 | 1,100 mm | ||||||||||
| トレッド | 前:1,600 mm / 後:1,560 mm | ||||||||||
| ホイールベース | 2,794 mm | ||||||||||
| エンジン | 日産・VRH35Z 3,496 cc V8 ツインターボ ミッドシップ | ||||||||||
| トランスミッション | ヒューランド・VGC 5速 MT | ||||||||||
| 重量 | 900 kg以上 | ||||||||||
| タイヤ | ダンロップ | ||||||||||
| 主要成績 | |||||||||||
| チーム |
| ||||||||||
| ドライバー |
| ||||||||||
| 出走時期 | 1990 - 1992年 | ||||||||||
| コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
| ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
| 初戦 | 1990年モンツァ480km | ||||||||||
| 最終戦 | 1992年デイトナ24時間 | ||||||||||
| |||||||||||
日産・R90CKは、1990年世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)、およびル・マン24時間レース参戦用の日産自動車のグループCカー。前年型R89Cと同じくローラカーズの製作。
R89Cは空気抵抗減少を目標にホイール径を前後とも17インチとしリヤタイヤにスパッツを装備するなど、ル・マンのユノディエールでのトップスピードを意識して開発、製作されていたが、R90CKではフロント18インチ、リヤ19インチ径のホイールの採用、ブレーキの大径化などスプリントレースでの競争力向上を目指して開発、設計されている。それ以外ではR89Cの基本設計を引き継いでいる。
このシーズンは日本で製作されたマシンをR90CP、英国のローラで製作されたマシンをR90CKと名づけた。製造された地である英国・クラウンフィールド(Crownfield)の「C」を取り「R90CC」と名づけることを当初考えたが、それでは単気筒のバイクのようでしっくりこないということで、Cと同じ発音の「K」を付け「R90CK」とした。
デビュー戦はWSPC第2戦モンツァ。この年はシーズンを通して2カー体制で臨んだ。グッドイヤータイヤに対し性能の劣るUKダンロップを履くため、シーズン当初はグッドイヤーを履くメルセデス、ジャガーに苦戦するが、第4戦スパ・フランコルシャンでシーズン初の表彰台を獲得した。
メルセデスのいないル・マンでは、日産の欧州レース部隊であるNME(ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ)、米国レース部隊であるNPTI(ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー)の双方から2台ずつ計4台の必勝体制で挑み、予選でスペシャルエンジンを積んだNMEのマーク・ブランデルが驚異的なタイムで日本車初のポールポジションを獲得。決勝レースでも序盤からレースをリードするが4台中3台がリタイヤに終わる。この年は日本のNISMOが送り込んだR90CPも最高5位に終わっており、日本車初のル・マン制覇はならなかった。残ったNPTIの1台がレース中のファステストラップをマークしている。
WSPC後半戦では優勝はできなかったが2位に2度入賞した(モントリオール、メキシコ)。シリーズランキングでメルセデス、ジャガーに次ぐ3位に入る活躍だった。
1991年のデイトナ24時間レースにNPTIが6速ミッションを搭載等独自のモデファイを施したR90CKで参戦し2位に入賞した。
乗車定員は1名だが、グループCのレギュレーションにより一応助手席があり、1992年のF1・日本グランプリ前に放送されたフジテレビの特番では、川井一仁が後述するフロムAレーシング(ノバエンジニアリング)の車の助手席に乗り、同マシンが鈴鹿サーキットを走る様子をレポートしたことがある(ドライバーはマウロ・マルティニ)。
