ノバ・エンジニアリング
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概要
前身は、ホンダ・S800ベースの「コニリオ」や軽フォーミュラ「アウグスタ」を製作したコンストラクター「レーシング・クォータリー (RQ) 」。 1973年4月にRQ主宰者の山梨信輔と風戸裕が、風戸のマシンをメンテナンスすることを目的にノバ・エンジニアリングを設立した。社名はイラストレーターの池田BOWによって考案され、「新星」を意味する「nova」が由来となっている。
1978年10月に猪瀬良一が代表取締役に就任、それに合わせて森脇基恭(2025年現在 同社取締役技術部長として経営に携わり、F1解説者としても活躍)や璒美川光司などが入社。一方でそれと相前後して山梨ら創業メンバーが同社を退社した。このため、レース専門誌等では「社名は同じでも実質的には別の会社である」との考え方から、山梨ら創業メンバーの時代を「第1期」、猪瀬・森脇・璒美川らの入社後を「第2期」として区別する場合がある。
全日本F2000選手権、全日本F2選手権、全日本F3000選手権、フォーミュラ・ニッポンなどの国内トップフォーミュラや富士グランチャンピオンレース(富士GC)、全日本耐久選手権、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)などで活躍。全日本F2000と全日本F2ではBMW・M12/7エンジンを搭載するノバ製マシンのユーザーが、1976年から1978年にかけて3年連続チャンピオンを獲得している。1978年までの「第1期」時代のノバ製チャンピオンマシンの車体は宮坂宏が設計、ボディカウル、空力はムーンクラフトの由良拓也が設計。「第2期」ではJSPCでのポルシェ・956や962Cのメンテナンスで知られ、ADVANポルシェやFromAポルシェなどで活躍した。
1980年代の前半までは完全自社開発のマシンを数多く製作。その後、日本のレース体系が自動車メーカーの状況や方針に左右されるようになり、独立系レーシングチームとしてのレースエントリーが難しくなっていったことを受けて、レースカーのメンテナンス及び部品製作等を中心とした業務に移行した。
日産・GT-Rの開発実験に携わり、開発ドライバーとして鈴木利男と契約。2011年には全国に3カ所しかない「GT-R特約サービス工場」に指定されている。また2013年までは、全日本F3選手権Nクラスに参戦する「NDDP RACING」の運営も受託していた。
2010年代以後は、モータースポーツで培ったカーボン・コンポジット技術を利用して、東京大学宇宙線研究所を中心に日豪協力で建設された、通称「カンガルー望遠鏡」と言われるガンマ線観測天体望遠鏡のガンマ線球面鏡の開発・製造も手掛けるなど異分野への参入やメーカー委託による市販用車両の開発業務を遂行。またアウディスポーツカスタマーレーシング日本代理店として、アウディ・R8 LMS Ultraを取り扱うなど、海外業務も広範囲にわたり手掛けている。
獲得したタイトル
国内トップフォーミュラ
| 年 | 獲得タイトル | チャンピオンドライバー |
|---|---|---|
| 1975 | 全日本F2000選手権 | 星野一義 |
| 1977 | 全日本F2000選手権 | 星野一義 |
| 1978 | 全日本F2選手権 | 星野一義 |
| 鈴鹿F2シリーズ | 長谷見昌弘 | |
| 1980 | 全日本F2選手権 | 長谷見昌弘 |
| 鈴鹿F2シリーズ | 長谷見昌弘 | |
| 1992 | 全日本F3000選手権 | マウロ・マルティニ |
| 1997 | 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン | ペドロ・デ・ラ・ロサ |
富士グランチャンピオンレースシリーズ
| 年 | チャンピオンドライバー |
|---|---|
| 1977 | 生沢徹 |
| 1978 | 星野一義 |
| 1980 | 長谷見昌弘 |
| 1982 | 星野一義 |
スポーツプロトタイプカー耐久レースシリーズ
| 年 | 獲得タイトル | チャンピオンドライバー |
|---|---|---|
| 1983 | 全日本耐久選手権 | ヴァーン・シュパン/藤田直廣 |
| 富士ロングディスタンスシリーズ | ヴァーン・シュパン/藤田直廣 | |
| 1984 | 富士ロングディスタンスシリーズ | ヴァーン・シュパン/片山義美 |
| 1985 | 全日本耐久選手権 | 高橋国光/高橋健二 |
| 富士ロングディスタンスシリーズ | 高橋国光/高橋健二 | |
| 1986 | 全日本耐久選手権 | 高橋国光/高橋健二 |
| 富士ロングディスタンスシリーズ | 高橋国光/高橋健二 | |
| 1987 | 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 | 高橋国光/ケネス・アチソン |
| 富士ロングディスタンスシリーズ | 高橋国光/ケネス・アチソン | |
| 1988 | 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 | 岡田秀樹/スタンレー・ディケンズ |
| 富士ロングディスタンスシリーズ | 岡田秀樹/スタンレー・ディケンズ | |
| 1989 | 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 | 高橋国光/スタンレー・ディケンズ |
全日本フォーミュラ・パシフィック選手権
| 年 | チャンピオンドライバー |
|---|---|
| 1980 | 長谷見昌弘 |
| 1981 | 星野一義 |
| 1982 | 星野一義 |
全日本F3選手権
ジャパン・ルマン・チャレンジシリーズ
その他の主要レース
| 年 | 獲得タイトル | 優勝/チャンピオンドライバー |
|---|---|---|
| 1995 | ル・マン24時間GT2クラス | 高橋国光/飯田章/土屋圭市 |
| 鈴鹿インターナショナル1000kmレースGT2クラス | 高橋国光/飯田章/土屋圭市 | |
| 十勝24時間レース | 高橋国光/飯田章/土屋圭市 | |
| 1996 | 十勝24時間レース | 高橋国光/飯田章/土屋圭市 |
| 2009 | アジアン・ル・マン・シリーズ第2戦GT1クラス | 土屋武士/都筑晶裕 |
| 2011 | スーパー耐久シリーズST-Xクラス | 都筑晶裕/マイケル・キム/藤井誠暢 |
在籍した主なドライバー
- 風戸裕(1973年 - 1974年) - 富士GCに参戦。
- 藤田直廣(1974年、1983年 - 1984年) - 風戸の後任として富士GCに参戦。
- 生沢徹(1977年 - 1978年)
- 星野一義(1977年 - 1983年)
- 中嶋悟 - 1976年まではプライベーターとして活動していたが、資金難のため活動を停止しようとしていた所をBMWのエンジンをチューニングしていた松浦賢により見いだされ、翌1977年より同社のシャシーを使ってヒーローズレーシングより全日本F2000・FJ1300に参戦するようになった。
- 長谷見昌弘(1978年 - 1984年)
- 片山義美(1983年 - 1984年) - 富士GCに参戦。エントラントは、片山レーシングでマシン製作とメンテネンスを担当。シャシーにマーチ812/エンジンにマツダ13B(ロータリーエンジン)を使用して、ノバ・エンジニアリングにて設計・製造されたオリジナルカウルを使用。シャシーのマーチ812は、ノバ製カウルに合わせての改造と補強をノバで実施。マシン名は、1983年がKN83/84年がKN84。KNは、カタヤマ・ノバの頭文字から使用。
- 高橋徹(1983年)
- 高橋国光(1983年 - 1991年)
- 高橋健二(1984年 - 1986年 JSPC)
- ステファン・ヨハンソン(1984年)
- ロベルト・モレノ(1985年)[1]
- マイク・サックウェル(1986年 - 1987年)
- ケネス・アチソン(1985年 - 1987年)
- ジョン・ニールセン(1987年)
- ハンス=ヨアヒム・シュトゥック(1988年)
- スタンレー・ディケンズ(1988年 - 1989年)
- 中谷明彦(1989年 - 1992年)
- ハロルド・グロス(1989年)
- フォルカー・ヴァイドラー(1990年 - 1992年)
- ハインツ=ハラルド・フレンツェン(1992年 - 1993年)[2]
- マウロ・マルティニ(1992年 - 1995年) - 1992年全日本F3000選手権チャンピオン
- ノルベルト・フォンタナ(1996年)
- ペドロ・デ・ラ・ロサ(1996年 -1997年) - 1997年フォーミュラ・ニッポンチャンピオン
- ラルフ・ファーマン(1998年 - 2000年)
- 加藤寛規(1999年、2003年)
- 山本清大(2002年)
チーム・ノバのメインスポンサーを務めた主な企業/ブランド
- ADVAN(横浜ゴム)
- ジョン・プレイヤー・スペシャル(ブリティッシュ・アメリカン・タバコ)
- マールボロ(フィリップモリス)
- FromA(リクルートフロムエー)
- 塩野義製薬
- 森永乳業
- ブリヂストン