日野資愛

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日野 資愛(ひの すけなる、安永9年11月22日1780年12月17日) - 弘化3年3月2日1846年3月28日))は、江戸時代後期の公卿、文人。は子博、は南洞、儀同。

詩文や和歌に秀で、儒学皆川淇園に学び、『日本外史』に序文を描き、佐藤一斎梁川星巌頼山陽らと親交を持った。

弘化3年2月、崩御された仁孝天皇の側近の中で学問を良くしたことを理由に勘解由小路資善と共に諡号選定に加わることを特に許されたが(本来は紀伝道菅原氏の公卿の役目)[1]、同年3月に天皇の後を追うように死去した。

系譜

出典

脚注

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