昌明寺遺跡
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発掘調査
1990年(平成2年)にえびの市内老人ホーム建設に伴い建築予定地をボーリング調査した際に、付近一帯に埋蔵文化財が存在する可能性があるとして試掘調査を行った。その結果、古代から中世にかけての遺物と遺構が検出された[4]。
その後の1995年(平成7年)には県営圃場整備事業に先立ち付近約3.5平方キロメートルの広範囲を調査し、掘立柱建物跡や溝、土坑などの各種遺構のほか、堰を備えた旧河道なども発見された。遺物では木簡1点[5]を含む古代から中世にかけての土器・陶磁器類140点以上[4]、破片約3万点が出土した[6]。
土器では「石」・「用」などの文字が書かれた平安時代の墨書土器が出土した[7]。
陶磁器類では舶来品である越州窯系青磁をはじめ、11 - 12世紀の白磁、12 - 13世紀の青磁・青白磁などの破片が620点以上出土し、古代から中世においては市内でも卓越した出土量となっている[8]。また、鉄器を鋳造したと思われる、被熱・高温発泡の痕跡が残る小規模な鋳型が出土している[9]。遺物は弥生時代から平安時代、近世中頃まで様々で、国産・外国産問わず多岐豊富な種類があった[10]。
昌明寺跡
昌明寺の寺域と伝えられる範囲も調査された。中世の遺構面が包含層ごと削平されており、堂宇など、寺そのものの遺構は検出されなかったが、瓦質土器(奈良火鉢)や石塔(五輪塔・宝篋印塔)など、中世寺院に関わる遺物が出土している[3]。これらの遺物には16世紀・18世紀代のものに被熱した痕跡が見られ、同寺院が数度の火災に見舞われた可能性が指摘されている[11]。
多種多様でかつ大量の出土遺物や、越州窯系青磁などの輸入陶磁器・鍛冶関連遺物などの遺物の性格から、当地には寺院だけでなく、役所(院司)などを含む古代から中世・近世にかけての大規模な集落が存在した様子がうかがえるものの[12]、2001年時点では集落本体の詳細調査まで至らず、正確なところは不明となっている[8]。