明治大学グリフィンズ
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| 明治大学グリフィンズ Meiji Griffins | |
|---|---|
| 創設:1934年(91年前) | |
| リーグ | |
| 関東学生アメリカンフットボール連盟・TOP8 | |
| 練習場 | |
| 明治大学八幡山グラウンドアメリカンフットボール場(東京都世田谷区) | |
| チーム情報 | |
| 正式名 | 明治大学体育会アメリカンフットボール部 |
| 愛称 | GRIFFINS |
| 運営母体 | 明治大学 |
| 監督 | 岩崎恭介 |
| ヘッドコーチ | 高橋輝 |
| 公式サイト |
www |
| 獲得タイトル | |
| リーグ優勝(5回) | |
| 1947・1968・1975・1976・1985 | |
明治大学体育会アメリカンフットボール部グリフィンズ(めいじだいがくたいいくかいアメリカンフットボールぶグリフィンズ)は、明治大学体育会に所属するアメリカンフットボールチームである。関東学生アメリカンフットボール連盟一部リーグTOP8所属。チームカラーはゴールド、ネイビー、イエロー。
1934年創部。立教大学・早稲田大学と共に、日本アメリカンフットボール界のルーツ校である。チーム名のグリフィンとはギリシャ神話に登場する鷲の頭と獅子の胴体に翼を持つ、アポロの聖獣と考えられた伝説上の生物。
1933年12月25日、明治大学のフラタニティーである「∑NK」(シグマ・ヌ・カッパ)とハワイ選抜チーム(東京在住の日系二世で編成されたチーム)の間でアメリカンフットボールの試合が行われた。この「∑NK」が後のグリフィンズの中核となり、その導き役を果したのが松本瀧蔵明大教授である。
立教大学や聖路加国際病院の創設母体であった日本聖公会に所属していたポール・ラッシュ博士の発案で発足した明治、早稲田、立教、東京商科、慶應の五大学の英語会(ESS)大学連盟共同代表[1]を明治在学中に務めていた松本が、1934年にフットボールのリーグ戦設立のためラッシュに協力を求め[2]、明治大学と立教大学に体育会アメリカンフットボール部を、それぞれ誕生させた。 更に明治、立教、早稲田による、東京学生アメリカンフットボール連盟を設立し、初代理事長をラッシュが務め、松本は書記長(共同)を務めた。松本はその後、1938年にハーバード大学大学院経営科を卒業し、明大教授を務めた後、衆議院議員となり内閣官房副長官などを務めた。
グリフィンズは戦前9季で5度優勝するなど、甲子園ボウル設立以前の国内王者であり、1935年には日本の大学を代表して、初の単独国際試合を南カリフォルニア大学と行った 。 創部当初は米最新戦術がチーム作りの根幹を成し、その後マルチブル攻撃を続々と登場させ、スピードと技術に支えられたスタイルが現在も受け継がれている。
主な戦績

甲子園ボウル(全日本大学選手権決勝戦)
- 1948年 明治大学 0-6 関西大学
- 1968年 明治大学 36-38 関西学院大学
- 1975年 明治大学 7-56 関西学院大学
- 1976年 明治大学 22-29 関西学院大学
- 1985年 明治大学 46-48 関西学院大学
定期戦
対関西学院大学(1947年開始) ※1年毎に関東/関西で交互に開催。