明石昌夫

日本のミュージシャン、音楽プロデューサー (1957-2025) From Wikipedia, the free encyclopedia

明石 昌夫(あかし まさお、1957年〈昭和32年〉3月25日 - 2025年〈令和7年〉5月19日)は、日本音楽プロデューサー作曲家編曲家ベーシスト[1]大阪府出身、兵庫県西宮市育ち。B'zZARDをはじめとする多数のアーティストの楽曲を手がけたことで知られる[2][3]

出生名 明石 昌夫
別名 Max Brightstone
生誕 (1957-03-25) 1957年3月25日
概要 明石 昌夫, 基本情報 ...
明石 昌夫
2024年
基本情報
出生名 明石 昌夫
別名 Max Brightstone
生誕 (1957-03-25) 1957年3月25日
出身地 日本の旗 日本 兵庫県西宮市
死没 (2025-05-19) 2025年5月19日(68歳没)
学歴 大阪大学基礎工学部電気工学科卒業
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1988年 - 2025年
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経歴

大阪にて(2025年)

音楽好きの一家に生まれ、4歳からヴァイオリンを習い始める。中学時代に1960年代から1970年代のブリティッシュ・ロックに強く魅了される。兵庫県立鳴尾高等学校大阪大学基礎工学部電気工学科を卒業[4][5]

30歳で上京[6]。1988年に制作したデモテープを評価したビーイングと契約。初編曲作品はB'zの「だからその手を離して」。その後、ビーイングアーティストを中心に多くのアーティストの編曲を担当した[7]。1997年までB'zのサポートメンバーとしてベースマニピュレーターを担当し、「3人目のB'zメンバー」とも呼ばれた[8]

2025年5月19日、心不全により死去[9]68歳没。訃報はミュージックユニバースにより公表された。

エピソード

アスペルガー症候群
本人曰く、発達障害の「アスペルガー症候群」であるため、作業中は極度に過集中しているという。そのため、スタジオに訪問者がいても挨拶くらいはするものの、ほとんど相手の顔を覚えておらず、ZARD坂井泉水のことも、周りは「よくスタジオに来ていた」と証言している中で、本人は「ほとんど2~3度くらいしか顔を合わせたことがない」と語っている[10]
ビーイングでの制作手法
ZARDに関わっているときは、特に曲の方向性などを指定されることがなく、「カッコいい曲を作って」という要請のみで、自由に1日1曲ペースで作っていたという。その際に制作段階では、誰が歌うのか、どういう声なのかも知らなかったという[11]。また、当時のビーイングは、基本的に「曲先」で制作しており、作詞は最後に付けていたという[12]
数値入力による打ち込み
DTMソフトで打ち込みする際は、演奏して入力するのではなく、数値による「ステップ入力」であり、頭の中に数値が出来ているのだという。明石は、「難聴になったベートーベーン」に例えている。制作し終えた曲を聴くことはなく、すべて頭の中で曲が構成されていて「良い所・悪い所」も分かっており、聴く必要がないという[13]

AKASHI MASAO GROUP

自らの名前を冠としてバンドAKASHI MASAO GROUP(通称AMG)を結成。

ディスコグラフィ

アルバム
  • A.M.G. (1996年)
  • All Shock Up (1996年)
  • CHAINED (1997年)
  • 0609140112〜CODA#1〜 (1997年)

楽曲提供

作曲・編曲

編曲

※共同編曲

レコーディング参加

著書

  • 音楽を作る売るという仕事―そこが知りたかった!ギョーカイの掟83(2003年3月19日、リットーミュージックISBN 4-8456-0913-4

脚注

関連項目

外部リンク

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