昭和地区
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地理
町と人口
歴史
口伝によると、1620年(元和6年)、蜂須賀家政が北野太郎左衛門に命じて南斎田浦(のちの南斎田浦村、現 南昭和町付近)に塩田を開かせたとあるが、南斎田の塩竈神社(現 昭和町7丁目)の創建が1592年(文禄元年)なので、そのころまでにはなんらかの形での製塩業があったと思われる[3]。
江戸時代の間に塩田は増え、現在の沖洲地区・津田地区・八万地区にも及んだ。しかし1912年ごろから不良塩田が廃止され、1958年6月9日に最後となった斎田製塩工場が閉鎖、翌1959年12月10日には鹹水の製造も廃止し、徳島市の製塩業は終了した[3]。
河川舟運が盛んだった時代には、新町川と園瀬川の間に人工の小通し川が通じていた。現在、新町川の右岸の万代町・昭和町間にある短い支流と、御座船入江川左岸の南昭和町5・7丁目境にある短い支流が、その名残である。
1889年までは名東郡万代新田村(新町川沿い)と南斎田浦村(園瀬川・御座船入江川沿い)の2村があった。1889年の市町村制で、現津田地区の津田浦村・新浜浦村と共に合併し斎津村となった。1926年5月1日、徳島市に新たに編入される最初の市町村となった。

