八万地区
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地形
東半は園瀬川などが形成する三角州だが、西半は、眉山や四国山地北東端に当たる山地、それらに挟まれた狭い平地からなる。
南北に伸びる幹線道路(西から)国道438号・県道136号・国道55号沿いが商業地化し、その周辺は住宅地や農地が広がる田園地帯である。
徳島県文化の森総合公園があり、県の文教施設が集中している。ただし交通アクセスは悪い。
| 山 | 標高 | |
|---|---|---|
| 眉山 | 277m | とくしま88景に選定。 |
| 向寺山 | 190m | 山腹に徳島県文化の森総合公園がある。 |
| 勢見山 | 106m | 眉山東麓の山。 |
| 河川 | 備考 |
|---|---|
| 園瀬川 | 吉野川水系の主要河川。南部を貫き、東部では津田地区との東の境。 |
| 御座船入江川 | 園瀬川の支流。昭和地区との北東の境。 |
| 冷田川 | 園瀬川の支流。 |
| 新川 | 園瀬川の支流。 |
| 星河内谷川 | 園瀬川の支流。 |
| 長谷川 | 園瀬川の支流。眉山が水源。 |
| 多々羅川 | 園瀬川の支流。勝占地区との南の境。 |
| 千切山川 | 多々羅川と園瀬川を結ぶ。津田地区との南東の境。 |
町
人口は徳島市による推計[2](2011年8月)。3世帯以下の丁目・小字の人口は各町の人口から除外されている(地区計には計上されている)。
| 町丁 | 丁目 | 人口 | 注記 |
|---|---|---|---|
| 西二軒屋町 | 2丁目 | 134 | 1~2丁目のうち。 |
| 南二軒屋町 | 一~三丁目・小字 | 1312 | 一丁目1番を除く。 |
| 沖浜 | 1~3丁目 | 398 | |
| 沖浜東 | 1~3丁目 | 611 | |
| 山城西 | 1~4丁目 | 629 | |
| 問屋町 | 62 | ||
| 山城町 | 小字 | 1292 | |
| 沖浜町 | 小字 | 1761 | |
| 八万町 | 小字 | 18933 | |
| 城南町 | 一~四丁目 | 2080 | |
| その他 | 23 | 3世帯に満たない丁目・小字の合計。 | |
| 計 | 27235 |
隣接地区
| 佐古地区 | 新町地区 | 西富田地区 東富田地区 |
||
| 加茂名地区 | 昭和地区 | |||
| 上八万地区 | 勝占地区 | 津田地区 |
歴史
下八万
かつては、現八万町から上八万地区にかけてを「八万」と呼び、現在の八万町は下八万(しもはちまん)と呼んでいた。
1889年の町村制施行時、下八万村などが合併し八万村となった。下八万は八万村の大字として存続したが、1937年の徳島市への合併時に八万町となり、下八万の名は消えた。
八万村
→詳細は「八万村」を参照
八万地区はかつての八万村に当たる。ただし旧八万村のうち、西新浜町は津田地区、富田橋7丁目・8丁目は東富田地区である[3][4]。
年表
- 896年 - 名方郡が名東郡と名西郡に分割。
- 1872年 - 大区小区制により、第一大区六小区となり、大字として北浜浦・南浜浦(1976年 合わせて沖浜村に)・沖浜村・山城屋浜が置かれる。
- 1879年 - 郡区町村制により、名東郡下八万村・沖浜村・山城屋浜(同年 山城屋浜村に改称)が置かれる。
- 1889年10月1日 - 町村制施行に伴い、下八万村・沖浜村・山城屋浜村が合併して八万村が成立。旧3村は大字に。
- 1937年4月1日 - 八万村が加茂名町とともに徳島市へ編入。旧3大字は4大字となった。
町の変遷
| 町村制前の村 | 八万村の大字 | 編入直後の大字 | 現在のおよその町 |
|---|---|---|---|
| 沖浜村 | 沖浜 | 南二軒屋町 | 南二軒屋町・西二軒屋町(一部)・城南町 |
| 沖浜町 | 沖浜町・沖浜・沖浜東 | ||
| 山城屋浜村 | 山城屋浜 | 山城町 | 山城町・山城西 |
| 下八万村 | 下八万 | 八万町 | 八万町・問屋町 |