沖洲地区
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町
吉野川デルタ最下流部に位置し、かつての湿地帯や浅海が、近世以降の自然堆積や干拓・埋立で陸地化した土地である。
北は吉野川、南は新町川で限られる。西には沖洲川が流れるが、沖洲地区のうち末広・南末広町は沖洲川の対岸にあり、福島などと陸続きである。東は紀淡海峡に面すが、東沖洲は陸続きでなく、沖合いの人工島である。
大半は住宅地。県道38号/204号などの幹線道路沿いは商業地が広がり、東沖洲は工業地である。
唯一陸上で接する西の渭東地区との境界は町境と一致せず、安宅三丁目の一部も沖洲地区に含まれるが、この境界は旧徳島市・沖洲村間の市町村境とほぼ一致している。
人口は徳島市による推計[1](2025年1月1日)。
| 町丁 | 丁目・小字 | 人口 | 注記 |
|---|---|---|---|
| 末広 | 一~五丁目 | 4,648 | |
| 南末広町 | 2,050 | ||
| 南沖洲 | 一~五丁目 | 3,701 | |
| 北沖洲 | 一~四丁目 | 5,027 | |
| 東沖洲 | 一~四丁目 | 15 | |
| 金沢 | 一~二丁目 | 1,152 | |
| 安宅 | 三丁目 6番 | 84 | 一~三丁目のうち。 |
| 計 | 16,677 |
地形
隣接地区
| 川内地区 | ||||
| 渭東地区 | ||||
| 昭和地区 | 津田地区 |
産業
歴史
段階的に堆積・干拓・埋め立てされてきた地区で、ほとんどはかつての河や海である。1646年の古地図「忠英御代御山下画図」では、金沢や末広は沖洲川の河道で、南北沖洲の東半分と東沖洲は海だった。
1926年に徳島市に編入された旧沖洲村とおまかに一致するが、沖洲村の大字大岡浦(現 住吉・城東町)は除外される。逆に、1928年の市町村境変更で徳島市に編入された旧川内村大字金沢新田(現 金沢)を含み、また、東沖洲は1986年以降の埋立地である。
年表
- 896年 - 名方郡が名東郡と名西郡に分割。
- 1854年 - 安政南海地震で津波の被害を受けた。蛭子神社に碑「百度石」が残る。
- 1889年10月1日 - 町村制施行に伴い、名東郡沖洲村・板野郡川内村が成立。
- 1926年4月1日 - 沖洲村が徳島市に編入。
- 1928年10月1日 - 川内村のうち、金沢新田(編入後 金沢町、現 金沢)など吉野川南岸部分が徳島市に編入。
- 1986年 - 東沖洲の埋め立て開始(進行中)。
市町村の変遷
| 郡 | 1879–1889 | 1889–1926 | 1926–1928 | 1928–1986 | 1986– | 現在のおよその町 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 海 | 東沖洲 | |||||
| 名東郡 | 沖洲浦村 | 沖洲村 | 徳島市 | 北沖洲・南沖洲 | ||
| 末広新田村 | 末広・南末広町 | |||||
| 板野郡 | 金沢新田村 | 川内村 | 金沢 | |||