曲本 (戸田市)
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歴史
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡笹目領に属した曲本村で、古くは中世末期頃より見出せる高鼻荘に属したと云われている[4][5]。 村高は正保年間の『武蔵田園簿』では539石(田426石余、畑112町余、ほか野銭600銭)、『元禄郷帳』では438石余、『天保郷帳』では444石余であった[4]。助郷は中山道蕨宿に出役していた[4]。村の規模は東西28町余、南北5町余で、化政期の戸数は56軒であった[4][6]。田島村・松本新田・沼影村の間や内谷村・美女木村の間には飛地があった[4]。
なお、1959年(昭和34年)戸田町の曲本から分離して成立した浦和市の大字曲本は1976年(昭和51年)の土地改良事業により大字内谷の一部とともに西浦和に変更され[7]、住所地名から浦和市の大字曲本は一旦消滅するが、その後の住居表示の実施で[4]従前の大字とは一致するものではないが、新町名に曲本が採用され、住所地名として復活することとなった(曲本 (さいたま市)#歴史も参照。)。
- はじめは幕府領、以降変遷なし[4]。なお、検地は1697年(元禄10年)に実施[6]。また、新田を有し検地は1747年(延享4年)に実施。
- 幕末時点では足立郡曲本村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎支配所が管轄する幕府領であった[8]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により北足立郡内谷村・曲本村・美女木村・松本新田が合併し美谷本村が成立する。曲本村は美谷本村の大字曲本となる[9]。
- 1918年(大正7年) - 荒川の改修に着手、用地買収を開始する[10]。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村・笹目村が合併し美笹村成立し[9]、美笹村の大字となる。
- 1957年(昭和32年)7月20日 - 美笹村が戸田町と合併し[9]、戸田町の大字となる。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 戸田町の大字曲本の大部分が分離し、浦和市(現在のさいたま市南区)に編入され[9]、浦和市大字曲本となる。
- 1963年(昭和38年) - 戸田町の大字曲本の一部を浦和市の大字曲本へ編入する[4]。
- 1966年(昭和41年)10月1日、市制施行により戸田市となり[11]、戸田市の大字となる。
- 1997年(平成9年)3月 - 荒川第一調節池(彩湖)が完成する。
曲本村に存在していた小字
- 三条目[12]・道目・鎧町・丸町・深町・亀尻・平野・平沼(二ヶ所)
小・中学校の学区
交通
施設
- 荒川第一調節池(一部)
- 東京織物健康保険組合 運動場