月亭太遊

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月亭 太遊(つきてい たいゆう、1984年4月21日 - )[1]本名∶後藤 征平は、大分県竹田市出身の落語家。2004年から2010年までは漫才師として活躍した。2010年より上方落語協会に加入したが、政治活動の問題で2025年に脱会。以後は剽軽奈 乙燦(ひょうきんなおっさん)としてフリーの落語家として活動する一方で、政治家に対する「カウンター活動」[2]を中心とした政治活動を行う。

本名後藤ごとう 征平しょうへい
生年月日 (1984-04-21) 1984年4月21日(42歳)
概要 本名, 生年月日 ...
月亭つきてい 太遊たいゆう
月亭(つきてい) 太遊(たいゆう)
本名 後藤ごとう 征平しょうへい
生年月日 (1984-04-21) 1984年4月21日(42歳)
出身地 日本の旗 日本大分県竹田市
師匠 月亭遊方
活動期間 2004年 - (タレント)
2010年 - (落語家)
活動内容 漫才(2004年 - 2010年)
上方落語(2010年 - 2025年)
所属 吉本興業(2004年 - 2025年3月)
フリー(2025年 - )
備考
上方落語協会会員(2010年 - 2025年3月)
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来歴・人物

同級生が7人しかいない田舎で育ったとされる[1]。血液型は血液型はO型。TV番組のモノマネをして友人らを笑わせるのが高じて、お笑い芸能人になることを夢みるようになった[1][3]大分県立緒方工業高等学校卒業。高校在学中もテレビのお笑い番組を研究したり、インターネットのサイトに大喜利を投稿するなどしていた[3]。同級生らは在学中に就職や進学に有利な資格を取得していく中で、後藤はそういった資格取得には興味を示さず、恩師らに「開校以来初めてだ」と言わしめた[3]。2003年に大阪NSC(26期生)に入学する[3]NSCでは笑福亭笑利と同期で、笑利は生活に困窮したときに月亭太遊に相談して落語の道を選んだとされる[4]

漫才師として

2004年5月から2010年7月まではだか電球というコンビ名で漫才師として活躍した[1][1]。 素人出身の山下吉宗とコンビを結成、当初アマチュアとして活動、2004年M-1グランプリに出場したが、その予選中に吉本興業に所属することとなった。同大会では結成して間もないにもかかわらず準決勝に進出するなど、健闘。翌2005年の第26回ABCお笑い新人グランプリでも新人賞を受賞するなど、順調な活動が続いた。しかし、当時現役の大学生であった相方・山下が学業に専念することとなり、1年間活動を停止。その間はピン芸人として後藤レクイエムを名乗る[1]

2005年のM-1グランプリには藤原F鬼夫メキシコの風とともに、「ぽちょぽちょ」というユニット名で出場した。その後、元街の帽子屋さんバイク川崎バイクと、期間限定ユニット「繭」を結成。

2006年R-1グランプリでは、後藤レクイエムの名で準決勝に進出。その年3月には「はだか電球」の活動を再開し、2007年のM-1グランプリで再び準決勝まで勝ち上がる。

落語家への転身

2010年7月をもってコンビを解散し[3]、以後落語家を目指す。同年12月12日月亭遊方に入門[3]太遊の名を授かる。3代目桂米朝にとっては月亭天使に続き、2人目の玄孫弟子となった。

2012年、第7回大阪アジアン映画祭にて『治療休暇』(梅澤和寛監督)の肥満体型の憎たらしい男の役柄で映画初主演。出演のきっかけは、映画スタッフが某動画サイトで偶然見かけた「はだか電球」時代のコント。第22回彦八まつりの「落語家による大相撲」にて優勝(四股名:元裸)。

2013年、2代目京都府住みます芸人に就任[5][3]。このプロジェクトは吉本が地域に活気を取り戻すために企画されたものであった[1]。後藤は、京都府宮津市、舞鶴、京田辺市にそれぞれ1か月間居住し、銭湯の脱衣所でちゃぶ台を高座に寄席を開催するなどの活動を行った[3]。京田辺では京田辺市社会福祉協議会が吉本興業グループと連携して結成したふるさと劇団「とんちんかんちん座」の座長を務めた[1]宮津市では老人ホームで落語をしたり、夏祭りに出演したりした[1]。京都・出町柳では学生とハウスシェアをして生活を共にした[1]。これらの経験は後藤に「人を笑わせるには、地域に根ざした芸が必要」という信念を覚えさせた[3]。方言や、地域独自の話題を盛り込んだ新作落語を考えているうちに、後藤は出身地の九州のことが気になるようになっていった[3]

2017年4月、「住みます芸人」を退任し、拠点を大分県別府市に移す[6]。熊本地震によって被災した地元で、笑いによって明るさを取り戻そうという意図があった[3]。以後9年間にわたり「別府温泉落語」の立ち上げや運営、農業を兼業する生活スタイルで活動した。

2023年3月に別府での活動にピリオドを打ち4月より大阪に戻った。笑福亭羽光と京都などで「拡張する落語」と題した公演を開催。古典の枠を超えた表現を模索した。2023年12月には道頓堀ZAZA pocketsで独演会を開催し、「メシとパチンコ」などの新作落語5席を披露した。

2024年8月31日、東京・鈴本演芸場8月余一会「春風亭一之輔独演会」に桂九ノ一と共にゲストとして出演した[7]。演目は「山城ヨチムーランド」。

政治への関心

2023年までは「既存の落語の枠組みを広げる試み」が多かったが、2024年になると日本共産党の政策や活動に共感し、政治や社会問題に関する活動が増えた。

2024年10月27日、第50回衆議院議員総選挙にて与党の過半数割れが決定的になると、後藤は「この成果は共産党と上脇博之教授が最大の役割を担った、その共産党も議席数を減らしたのは残念である、しんぶん赤旗と上脇教授ありがとう--今こそ応援の気持ちを赤旗の購読で示そう」と投稿し[8]、支持者の結束と支持基盤の拡大を促した。

同年12月21日、日本共産党のインターネット番組「生放送!とことん共産党」にて「代々木落語会? 芸能から政治までとことん語ります」と題した番組に参加。小池晃書記局長や大門実紀史議員と対談を行った[9]。最低賃金や労働時間短縮などに注力している日本共産党の政策を動画で説明するとともに、国会中継での共産党議員の質問内容が優れていると高く評価した[9]。自身のSNSでも「#ありがとうしんぶん赤旗」として共産党の活動を広報していると述べ、共産党が波状攻撃のような勢いでスクープ報道を連発しているとエールを送った[9]。2024年は1年間で2500回ほどSNSにてしんぶん赤旗の購読購読を勧めるハッシュタグを発信した述べた[10]

2025年1月、後藤は、実はまだ自分自身が赤旗を購読していないことを明かし、大阪市東住吉区の日本共産党事務所(大阪二区地区委員会)を訪問して定期購読購入の契約を行った[10]。SNSでの赤旗を購入を推奨するハッシュタグの発信によって、2025年は1万人の赤旗読者を増やしたいとした[10]。後藤は「世の中には潜在的な赤旗読者が多いはず」と予想する一方で、沢山の方が赤旗の購読方法が分からないので購入に至っていないのではと心配した[10]。赤旗の内容を、落語やネット動画のネタにも活用し、ますます赤旗の読者を増やしたいとした[10]

同年1月18日、大阪市阿倍野区で共産党大阪2区の主催にて「平和に笑いたいゆう」と題して落語のトーク企画を開催し、共産党の清水ただしと対談した[11]。清水は当時参議院の大阪地方選挙区の候補者であったが、後藤は「いじり、いじめで相方をおとしめて笑いを取る漫才がありますが、維新の演説も同じ構造。共産党の演説はきちんと政策を語り、しかも聴衆が学びを共有していてすごい」と話した[11]。清水は松竹芸能出身であり、若手の頃から下ネタやどつきネタは控えるように指導され、全員が温かい気持ちになれる笑いを目指すように心がけたと芸人時代を振り返り会場を湧かせた[11]

同年10月17日、斎藤元彦兵庫県知事へのデモに参加するうちにしばき隊の活動と知り、「こんな抗議のやり方があったのだ、もっと早く知りたかった」と衝撃を受けたと述べ、自身の政治活動の大きな転機になったと説明した[12]。また、差別活動に対するカウンター活動の大切さを説き、演説に対して抗議せずに黙ってみているのは、差別する側と人間と同じ立場であるとした[12][13]。「しばき隊」の抗議の意義については、笑いを通じて世の中に伝え、世の中が間違った方向に進むのを正したいとしている[12]。また、落語や仕事よりも政治活動を主軸に身軽に行動できるように生活スタイルを改善しているとして、今後の活動について検討中であるとした[13]。一方で面倒な事務手続きは元々大嫌いであるとして、政治家になる気持ちは全くないと述べている[13]

2024年2月2日の岸和田市議会議員選挙では、共産党の「えびはら友子」の応援に立ち、女性問題を指摘されている永野耕平市長の辞任を迫った[14]。えびはら友子は2,287 票(3.7 %)を獲得して2023年に続いて当選した[15]

辞職とその後の活動

2025年3月13日、後藤は、プロの落語家を辞めることを発表した。理由として、斎藤元彦兵庫県知事やN国・立花孝志党首に対する批判などの政治的発言と行動について、苦情や一部嫌がらせの連絡がエージェント契約を結んでいた吉本興業上方落語協会や月亭一門に寄せられたためと説明した[16][17][18]。「月亭太遊でなくなるとプロの落語家ではなくなりますが、自分は芸事も発言も続けていきます」「プロの落語家じゃなくなるだけで!落語は自作のやつを勝手にやりますよ!!!」と落語自体は続けると述べた[16]

「月亭太遊」という芸名を返上し、上方落語協会を脱会したのちは剽軽奈 乙燦(ひょうきんな おっさん)を芸名として活動を始め、「藝人/ニューしばき隊 隊長/大分県出身/関西在住」とXで自己紹介した[19]

2025年11月2日、名古屋駅前での保守党の街頭演説に「しばき隊」界隈の活動家らと共に足を運び、1000人の聴衆に対して10人でカウンタープロテスト活動を行ったと述べた[20]

2026年2月8日投開票の第51回衆議院議員総選挙では維新による政治を終わらせるとして、松野明美の街頭演説に対してカウンタープロテスト活動を行った[21]

主な主催イベント

  • 噺セレブ(2012年10月 - 2013年3月)
  • 落語de銭湯数珠つなぎ ちゃいちゃい寄席(2014年6月 - )
  • 太遊のまつり(2014年7月 - )
  • ネオラクゴ・フロンティア、ネオ落語・セントラル、毎週月曜 錦湯劇場(2014年10月 - )
  • ネオラクゴ・カルティベイト(2014年12月 - 2015年9月)
  • おやすみマンサルド(2016年8月 - 2016年10月)
  • ビリートップ(2016年8月 - )
  • ネオラクゴ・メトロポリス[22](2017年2月 - )
  • ネオラクゴ・ストラグル(2017年11月)

出演

映画

CM

ミュージックビデオ

  • 120REC / STANCE feat. 押忍マン, 月亭太遊(2017年)
  • Red Bull Music ラッパーによる落語コンテンツ『ISSEKI』(2022年) - 落語監修

受賞歴

「はだか電球」時代
「月亭太遊」以降


脚注

関連項目

外部リンク

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