有坂隆祐
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幼時に北海道札幌市に移る[3]。小学校4年の時にスケートを始め、札幌商業学校入学後に、アイスホッケーからフィギュアに転向[3]。その後北海中学に移り、有望選手として注目される[3]。1935年明治大学に入学し、1935-1936年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝するが、翌年右足首を骨折する[3][4]。その後再起し、1939-1940年シーズンに全日本選手権で初優勝[3]。以後、戦時中止を挟みながらも、全日本選手権で4連覇し、1950-1951年シーズンの全日本選手権では5度目の優勝を果たした[3][5]。
1940年に開催される予定であった札幌オリンピックの有望選手と見られていたが、日本は1938年に札幌オリンピックと東京オリンピックの開催を返上したため幻に終わった。
関係者の努力もあり、1951年世界フィギュアスケート選手権に稲田悦子とともに日本人選手として15年ぶりに出場をしたが、最下位の11位に終わった[3][5]。帰国後プロに転向し[5]、1952年には、片山敏一・加藤禮子らとともに、日本で初めてのアイスショーも行っている[6]。
競技引退後はコーチとして活動し、福原美和、杉田秀男を指導した[3]。また、日本スケート連盟フィギュア部全国委員などをつとめ[2]、入門書も執筆した。