杉田秀男
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有坂隆祐に師事。1956年(昭和31年)、全日本フィギュアスケート選手権男子シングルで優勝。1957年(昭和32年)2月、アメリカ合衆国コロラド州で開催された世界フィギュアスケート選手権に出場。その直前には他の出場選手らとともに昭和天皇に模範演技を披露する機会もあった[1]。
その後は佐藤信夫の台頭(1957年(昭和32年)より全日本10連覇)もあって、選手としての冬季オリンピック出場は叶わなかった。 現役引退後は審判に転身、1968年(昭和43年)より国際審判。2002年ソルトレークシティオリンピックでは、審判不正疑惑問題に揺れたペアのジャッジを担当していた。杉田自身は疑惑には無関係であり、同年長野で行われた2002年世界フィギュアスケート選手権では男子シングルのレフェリーを務めている。
2005年(平成17年)で審判(ISU(国際スケート連盟)レフェリー)を引退したが、現在もISUの判定役員評定委員(OACメンバー)を務めている(原則として有資格者は現役審判であるが、杉田は引退後も引き続きISU理事会により任命されている)。2006年(平成18年)・2007年(平成19年)の世界フィギュアスケート選手権では、男女シングル・ペアの3種目で予選(2007年は廃止)・ショートプログラムから全ての演技を会場でチェックしていたとのこと。
かつては日本スケート連盟の理事も務めていたが、久永勝一郎元会長らとの確執により辞任しており、のちに久永らが起こした不祥事に関してTBSの情報番組でコメントが放送された。
ちなみに、杉田はTBSの元社員でもあり、同局でフィギュアスケート中継の制作を担当。平松純子とともに解説も担当していた。現在はJ SPORTSで解説を務めている。
長年に渡り国際大会のジャッジを務めた経験から、選手の長所、短所、個性、技術的な癖などを指摘、専門家の視点から技術的なポイントを解説している。