服部剛史
From Wikipedia, the free encyclopedia
競馬学校16期生として梶晃啓・嘉藤貴行・金子光希・小林慎一郎・鈴来直人・田嶋翔・西原玲奈・畑端省吾と同期になり、卒業後の2000年3月に栗東・梅田康雄厩舎からデビュー[1]。
1年目の2000年は3月4日の阪神第12競走4歳以上900万下・ダイタクリッツ(13頭中9着)で初騎乗[2]を果たし、天皇賞(春)が行われた4月30日[3]の京都第1競走4歳未勝利・ミッドアリアで初勝利[4]を挙げる[5]。8月26日の小倉第4競走4歳未勝利では15頭中15番人気マダムアフリートで逃げ切って単勝15830円・馬連182140円の波乱を起こし[6]、9月10日にはセントウルステークス・コンメンダトーレ(16頭中13着)で重賞初騎乗[7]を果たす。秋の福島でもコンメンダトーレに騎乗してカブトヤマ記念・福島記念5着[7]に入るなど、初年度は3勝[8]をマーク。
2年目の2001年には9月21日付でフリーとなり、12月8日の中京第3競走3歳以上500万下を16頭中15番人気コモエスタファナで単勝・馬連万馬券の波乱を起こす[9]。同年は2勝[8]に終わるが、騎乗馬は共に岩元市三厩舎の管理馬[10]であった。
3年目の2002年には領家政蔵厩舎のパイアンで初コンビを組んでから3連勝し[11]、セントウルステークスではカルストンライトオ・テンシノキセキら先行勢がラスト息切れする中で4コーナー10番手からビリーヴの2着に突っ込んだ[12]。パイアンで勝った雲仙特別(1000万下)が初の特別勝ちとなったが、雲仙特別が行われた7月21日の小倉では第6競走でも勝利しており、初の1日2勝ともなった[13]。
8月25日の小倉では第1競走2歳未勝利をダイキチムスメに騎乗してシンコールビーに勝利し[13]、小倉2歳ステークスではメイプルロード・ブルーコンコルドに次ぐ3着[14]に入った。ダイキチムスメで未勝利を勝った後の第6競走2歳新馬ではシーイズトウショウで逃げ切ったが、1日2勝は2度目の同日が最後となった[13]。
同年は自己最多で自身唯一の2桁勝利となる18勝[8]をマークし、2006年6月21日付でパイアンを管理していた[11]領家厩舎に所属[15]。
2006年9月3日の札幌第1競走2歳未勝利・ベルベットイーグルが最後の勝利[13]、2007年7月7日の福島第4競走3歳未勝利・ワンダージュール(16頭中6着)が最後の騎乗[16]となり、2007年7月20日付で現役を引退[17]。