田嶋翔
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| 田嶋翔 | |
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第169回天皇賞(春)パドック (2024年4月28日) | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | 群馬県 |
| 生年月日 | 1981年12月19日(44歳) |
| 身長 | 162cm |
| 体重 | 52kg |
| 血液型 | O型 |
| 騎手情報 | |
| 所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
| 所属厩舎 |
美浦・大江原哲(2000.3.1 - 2006.6.30) 栗東・小島貞博(2006.7.1 - 2011.4.30) 栗東・フリー(2011.5.1 - 2012.4.20) |
| 初免許年 | 2000年3月1日 |
| 免許区分 | 平地・障害 |
| 騎手引退日 | 2012年4月20日 |
| 重賞勝利 | 1勝 |
| 通算勝利 | 2048戦104勝 |
競馬学校16期生として梶晃啓・嘉藤貴行・金子光希・小林慎一郎・鈴来直人・西原玲奈・畑端省吾・服部剛史と同期になり、卒業後の2000年3月に美浦・大江原哲厩舎からデビュー[2]。
1年目の2000年は3月4日の中山第12競走5歳以上900万下・エイキューガッツ(12頭中2着)で初騎乗[3]を果たし、同26日の中山第2競走4歳未出走・ジョウノシーザーで初勝利[4]を挙げる[5]。4月20日の浦和第10競走マルチロマン特別・リッキーワールドで地方初騎乗初勝利[4] [6]を達成し、12月3日の中山第5競走障害4歳以上未勝利・モルフェジン(10頭中7着)で障害初騎乗[7]を果たすが、初年度の同年は5勝[8]に終わった。
3年目の2002年には6月16日の福島第6競走2歳新馬・レディロワイアルで初の新馬勝ちを挙げると、第11競走バーデンバーデンカップではモルフェデスペクタで逃げ切って初の特別・メイン勝ちと初の1日2勝も決める[9]。7月6日の福島第9競走福島ジャンプステークスではメジロアルダン産駒ガルフィンドリーム[10]で障害初勝利[9]を挙げ、同馬では新潟ジャンプステークスで重賞初騎乗[11]も果たし、オンワードメテオの2着[11]に入る。夏の新潟では新潟記念・ロードフォレスターで平地重賞初騎乗[11]も果たし、15頭中10番人気ながらメンバー中最速上がり33秒4を記録してアメリカンボス・エアスマップに先着する6着[12]に入るなど、初の2桁勝利となる12勝[8]をマーク。
2003年には3月8日の中山第5競走障害4歳以上オープンではサクラバクシンオー産駒ブランディスで勝利し[13]、12月13日・14日の中京では初の2日連続勝利[14]を挙げるなど、2年連続2桁勝利で自己最多の14勝[8]をマーク。
2004年には中山グランドジャンプ・ジュピテリアン(15頭中11着)で唯一のJ・GI騎乗[11]を果たし、東京オータムジャンプでは加用正厩舎のマイネルイースターでメジロロンザンの3着[15]に入った。
2005年からは鹿児島生まれの九州産馬・テイエムチュラサンの主戦騎手として活躍し[16]、GI初騎乗の桜花賞は16着[17]に終わったが、橘ステークスではスピードを活かして2番手を追走し2着に粘り切った[18]。5月には管理する義父の小島に声をかけられて[19]栗東に移籍し[20]、6月にはファルコンステークスではカズサラインからコンマ5秒差の5着と掲示板を確保[18]。7月には小島厩舎の所属となり[21]、3歳牝馬の格上挑戦となったアイビスサマーダッシュでは1年ぶりの51kgで騎乗するため減量[22]。レースでは人気の59kgカルストンライトオが最内から一気に外ラチを目掛けて馬を右に寄せていくが、テイエムチュラサンは軽量を活かしてダッシュを効かせ、カルストンライトオに外ラチを取らせず、先手を主張[18]。中盤からはカルストンライトオを次第に離していき[18]、最後まで脚色を緩めず[23]、2番手で食い下がるウェディングバレー[23]との一騎打ちとなる[18]。牝馬2頭による叩き合いは外ラチ沿いで激しくもつれ合ったが、テイエムチュラサンがクビ差凌いだ[18]。人馬共に唯一の重賞勝利[5] [16] [17]となったほか、小島と鹿児島のテイエム牧場に重賞初勝利[24] [25]、1998年にコウエイロマンが小倉3歳ステークスを勝利して以来の九州産馬によるJRA平地重賞制覇をもたらし[18]、1981年に日経新春杯を勝ったケンセイグット以来の古馬混合のJRA重賞勝利を収めた九州産馬となった[18]。
2005年のフェアリーステークスでは10番人気サザンビューティーで道中は中団より後ろからでも無理をせず、ダイワパッションの3着に入った[26]。
2007年にはヒシカツリーダーで沈丁花賞(500万下)と端午ステークス(オープン)を共にロングプライドの2着とし[27]、昇竜ステークス(オープン)ではスタートから先手を奪うと、直線で差を詰めた4番人気パルティーレをハナ差抑えて逃げ切った[28]。
2008年には1月26日の京都第10競走舞鶴特別ではパレスショットガンで向正面で外に出すと、早目に動く強い競馬で人気に応えた[29]。2月23日の東京第10競走白嶺ステークスでもゴール寸前でタマモグレアーをクビ差捕らえて人気に応えた[30]。
2009年には5月10日の京都第8競走矢車賞ではシゲルキリガミネでスタート後しばらくしてハナに立ち、道中マイペースから直線後続を突き放して逃げ切る[31]。12月26日の中京第11競走中京日経賞ではヤマカツマリリンで先団から抜け出し[32]、同年にマークした11勝が3年連続で最後の2桁勝利[8]となった。
2010年には夏の小倉・ひまわり賞をテイエムチュラサンの弟テイエムキューバでスピードの違いを見せる5馬身差完勝[33]したほか、7月18日の小倉第4競走メイクデビュー小倉2歳新馬ではテイエムターゲットでスタート直後にハナを奪い逃げると直線では後続を突き放し快勝し、通算100勝を達成[34]。9月25日の中山第11競走セプテンバーステークスでヤマカツマリリンで狭い所から鋭い脚を使って混戦を制し[35]、12月11日の小倉第2競走3歳以上500万下・プティマカロンが最後の勝利[36]となった。
2012年には1月15日の小倉第5競走3歳新馬をオレハマッテルゼ産駒シゲルシブガキで18頭中17番人気ながら3着[37]に入ったが、同28日の京都第4競走障害4歳以上未勝利・ジョウショーツヨシ(13頭中11着)が最後の騎乗[38]となり、4月20日付で現役を引退[5]。
引退後は作田誠二厩舎の攻め専の調教助手として経験を積み、2020年3月からは開業した吉岡辰弥厩舎にオープニングスタッフとして移籍[22]。吉岡厩舎では常に1頭の担当馬を持ち、初めて担当したスマッシャーが2021年のユニコーンステークスを勝ち、開業2年目の厩舎に初重賞をもたらした[22]。現在はブローザホーン[39]、カヴァレリッツォ[40]を担当。