服部川
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歴史
旧高安郡の千塚、山畑、大窪、服部川、郡川地区あたりには古墳時代後期の小規模の古墳が多数存在しており、これらの総称として「高安千塚」(たかやすせんづか)と言っていた。また、大阪と奈良を結ぶ旧い街道である立石街道とおうとう越がこの地で分岐している。『河内鑑名所記』には「服部川村 山上は立石越、ふもとハ千塚也、大石ニて塚穴を拵エ、何も南むきニ口ありて則千あり」とある。村の東方、高安山山頂付近に古代高安城、中世信貴山城出城があったとされ、『河内志』に「高安古城 在服部川村上方、俗呼志貴出城」とある。
正保郷帳の写しとされる河内国一国村高控帳石高は932石余。これには南隣の郡川地区の分も含まれている。分村後の石高は559石余。江戸時代以降、幾度か支配者が変わり、寛文9年に淀藩領となり幕末に至っている。明治以降の市町村制施行で中高安村の大字となる。昭和47年の現住所表記施行時に西側の一部が東町の一部、東山本新町の一部となる。
地理
世帯数と人口
2020年(令和2年)3月31日現在(八尾市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。なお、大字服部川は他町丁と合算されている為、含まず。
| 1995年(平成7年) | 2,285人 | [4] | |
| 2000年(平成12年) | 2,143人 | [5] | |
| 2005年(平成17年) | 2,065人 | [6] | |
| 2010年(平成22年) | 1,891人 | [7] | |
| 2015年(平成27年) | 1,631人 | [8] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。大字服部川は他町丁と合算されている為、含まず。
| 1995年(平成7年) | 696世帯 | [4] | |
| 2000年(平成12年) | 664世帯 | [5] | |
| 2005年(平成17年) | 614世帯 | [6] | |
| 2010年(平成22年) | 630世帯 | [7] | |
| 2015年(平成27年) | 557世帯 | [8] |