木工
木材に加工を施す作業
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歴史



木材は、岩石、粘土および動物の部位とともに、ヒトが最初に使った材料のひとつである。ムスティエ文化でネアンデルタール人が使った石器の石質分析は、多くが木材の作業に使われたことを示す。文明の発展は、これらの材料を使う能力の急速な発展と強く結びついている。
初期に発見された木の道具には、カランボ滝 、クラクトン・オン・シー、レリンゲンの棒がある。シェーニンゲンの槍(ドイツ)は、木製狩猟道具の最初の例である。彫刻にはフリントの道具が使われた。新石器時代以降、彫刻入り木製容器は、例えばKückhofenとツヴェンカウでの線帯文土器文化の井戸で使われた。
青銅器時代の木彫の例には、北ドイツをデンマークの樹幹から作った棺、および木製折り畳み椅子があった。ドイツのフェルバッハ・シュミーデン遺跡には鉄器時代の木彫りの動物の好例がある。ラ・テーヌ文化時代の木製偶像は、フランスセーヌ川源流の保護区域で知られている。
古代エジプト
古代エジプトには高度な木工を示す重要な証拠がある[1]。 現存する多数のエジプトの絵画で木工が描かれており、多数の古代エジプトの家具(スツール、椅子、テーブル、ベッド、櫃)が保存されている。墓にはこれらのアーティファクトがあり、墓で発見された棺もまた木製である。木工の道具としてでエジプト民族が使用した金属は、当初は銅で紀元前2000年以降は青銅が使われ、かなり後に鉄精錬が知られた[2]。
木工に通常使われた道具は、斧、釿、鑿、鋸、弓錐がある。ほぞ継ぎはエジプト先王朝時代初期からの使用が裏付けられている。これらの継手は掛け釘、突合せ継手、皮革や縄での固縛で補強されていた。膠はエジプト新王国の時代でのみ使われるようになった[3]。古代エジプト民族は単板および仕上げのためのワニスの技術を発明したが、ワニスの成分知識はなかった。様々な天然アカシアや、シカモア、ギョリュウの原木が使われたが、ナイル川流域の森林破壊の結果、レバノンスギやアレッポマツ、ツゲ、およびオークの植林がエジプト第2王朝から必要となった[4]。
古代ローマ
木工はローマ人にとって非常に重要であった。これにより、場合によりこれだけを材料に、建物、運搬、道具、および家財道具が作られた。木はまたパイプ、染料、防水材料、および燃料にもなった[5]:1。しかしローマの木工の例はほとんど失われ[5]:2、文学的な記録により現在の知識の多くが保持された。ウィトルウィウス著『建築十書 (De architectura) 』では全章で木材について記述され、詳細が保存されている[6]。プリニウスは植物学者でなかったが、博物誌のうち6巻が樹木と木本植物の分野であり、樹木に関する豊富な情報とその利用を記述している[7]。
古代中国
中国の木工の創始者は魯班と妻の雲氏夫人で、春秋時代(紀元前771年から476年)と考えられている。魯班は鉋と墨線や他の道具を中国にもたらしたといわれている。彼の教えは『魯班經』(魯班の写本)に残されたとされている。それでありながら、この書は彼の死の1500年後に書かれたと信じられている。この本には植木鉢、テーブル、祭壇などの様々な品を建物で使うための寸法が主に記述され、また風水に関する広範な教えも含まれている。これには中国家具で有名だった接着剤や釘なしの複雑な継手に関しては何も記載されていない。

木材
日本の木工芸
日本の木工芸の技法として指物、刳物、挽物、曲物などがあり、家具や茶道具、日用漆器の素地などに用いられる。現代においては、文化庁が所管する「文化財保護法」に基づく「重要無形文化財」の指定と、経済産業省が所管する「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく「伝統的工芸品」の指定という、二つの主要な公的保護枠組みによって継承が図られている[8][9][10]。
木工に使う日本での伝統的な道具の例としては、鉋(かんな)、鋸(のこぎり)、鑿(のみ)、鑢(やすり)などが挙げられる。木材は強度もあり加工しやすい素材である。木材から板へ加工するにはオガを使い丸太から直線に挽き割る。木挽きされた材料を細かく木取りするために鋸を使う。さらに厚みを均一にするために鉋を使う。鑿は造作に使われ、鑢は刃の目立てや木材の調整に使われる。
技法
日本の木工芸における制作技法は多岐にわたるが、主にその加工手法と力学的構造によって大きく4つの基礎技法に大別される[11]。
- 指物 - 金属製の釘を使用せず、板材の端部にほぞとほぞ穴を精密に刻み込み、木材同士の噛み合わせのみで接合・組み立てを行う技術[12]。接合部が外部から見えないよう内部で強固に結合させる工夫が凝らされる[13]。
- 刳物 - 原木となる木の塊から、鉋や鑿、専用の刃物を用いて内部を物理的に刳り抜き、立体的な造形を生み出す技法[13]。木目の流れや節の配置を三次元的に計算し、素材の美しさを最大限に抽出する能力が求められる[11]。
- 挽物 - 轆轤などの回転動力装置に木材を固定し、高速回転させながら刃物を当てて円状あるいは円筒状に削り出す技法[11]。均一な厚みと滑らかな連続した曲面を創出することに長けている。漆器の素地(木地)づくりに多用される。
- 曲物 - スギやヒノキなどの直木目(柾目)の薄板を、湯による煮沸や蒸気によって加熱し、繊維を柔軟にした状態で環状または楕円状に曲げ、桜皮などで綴じ合わせて容器を成形する技法[11]。軽量で吸湿性に優れる。
上記以外にも様々な技法がある。
- 寄木細工 - 天然木の持つさまざまな色や木目を生かし、パズルのように寄せ合わせて精緻な幾何学模様を作り出す技術。
- 組子細工 - 数ミリの細い木片にミリ単位のスリット(切り込み)を入れ、手作業で組み合わせて幾何学模様を作り出す技術。
- 彫物(木彫刻) - 仏像、欄間、お盆など平面な構造の木をノミや彫刻刀で彫ることで、立体的な造形や浮き彫りを施す技術。富山県の「井波彫刻」や、彫刻した木地に漆を塗り重ねて仕上げる神奈川県の「鎌倉彫」などが代表的である。
- 木象嵌 - ベースとなる板を絵柄の形に彫り抜き、そこに別の色合いの木材を隙間なくはめ込んで、一枚の絵画のように仕立てる技術。花や鳥、風景などの絵を表現する[11]。
- 樺細工 - 木地になめした山桜の樹皮を高温の金鏝と膠で接着させる日本独自の木工技術。秋田県の角館が全国唯一の産地である。
- 木画 - 木材だけでなく、象牙、鹿の角、動物の骨、金属、鼈甲などを隙間なく嵌め込んで文様を描き出す手法。起源は中東にあり、シルクロードを経て唐代の中国から奈良時代の日本へと伝わったとされる。正倉院宝物に見られる装飾技法として有名である。
素材
日本の木工芸における主要な樹種には、ケヤキ、スギ、クワ(桑)、キリ、クリ、タモなどがあり、それぞれの硬度、比重、防虫性、吸湿性に応じて適材適所の利用がなされてきた[14]。希少性の高い銘木として、伊豆七島の一部でのみ産出される「島桑」や、泥中や火山灰中に埋没し変色した「神代杉」、柿の木に稀に生じる黒い縞模様を持つ「黒柿」などが用いられる[8]。また、香気をもつビャクダンやネズミサシといった香木は、造形構造とは無関係に珍重される事例もある[15]。
日本の木工芸では、木材の切断面に現れる特異な文様である「杢」を美術的表現として用いる[15]。学術研究に基づく代表的な杢の分類とその特徴は以下の通りである。
- 泡杢/ 牡丹杢 - 水面の泡や牡丹の花びらのような無数の円形が密集した模様[15]。
- 如輪杢 - 魚の鱗のような規則的な重なりを見せる模様[15]。
- 鶉杢 / 雉杢 - 鶉や雉の羽の模様に似た、細かく入り組んだ斑紋や曼荼羅状の模様[15]。
- 孔雀杢 / 網杢 - 雀の羽の目玉模様や、細かな網目状に広がる複雑な模様[15]。
- 縮杢 / 縮緬杢 - 絹のちりめんのように、細かい波状の縮れが連続する模様。光の反射で立体的に見える[15]。
- 波杢 / 絵巻杢 - 穏やかな波のうねりや、絵巻物が広がるような雄大な曲線模様[15]。
- 鳥眼杢 / 葡萄杢 - 小鳥の目のような細かい円形の斑点、あるいは葡萄の房のように瘤(こぶ)状の模様が密集したもの[15]。
- 筍杢 / 中杢 - 筍を縦に割ったような、同心円錐状の山形の模様が連続するもの[15]。
- りぼん杢 / 縄目杢 - 木の繊維が交錯し、リボンや編んだ縄のように立体的に交差して見える模様[15]。
- 虎斑杢 / 銀杢 - 虎の毛皮にある横縞のような、帯状の斑が放射状に現れる模様。銀色に輝くことが多い[15]。
有名な木工品
- 二風谷イタ(北海道)
- 大館曲げわっぱ(秋田) - 秋田杉の均一な直木目と芳香を生かし、熱で曲げて成形する技術を用いた製品である[16]。
- 秋田杉桶樽(秋田)
- 樺細工(秋田)
- 仙台箪笥(宮城)
- 岩谷堂箪笥(岩手) - 平泉文化を源流とし、ケヤキ等の木地に拭き漆や木地蝋塗りを施し、さらに裏から打ち出した精巧な手打ち金具(龍や唐獅子紋様)を取り付けることで、極めて堅牢かつ豪壮な家具として知られる[17]。
- 江戸指物(東京) - 外側に組み手を見せず、金釘(かなくぎ)も使わずに組み立てられた木工品[18]。国産の無垢材を用い、過剰な装飾を排した意匠が「粋」とされた[12]。
- 江戸和竿(東京)
- 春日部桐箪笥(埼玉) - 金くぎを用いず、軽量で防湿・防虫性に優れる桐材を用いた指物技術が特徴である[19]。
- 箱根寄木細工(神奈川) - 多様な樹種が持つ天然の色調を組み合わせ、幾何学的な連続文様の種木を作り、それを極薄に削り出して小箱等に貼る独自の装飾木工技術である[20]。
- 鎌倉彫(神奈川)
- 加茂桐箪笥(新潟)
- 村上木彫堆朱(新潟)
- 井波彫刻(富山) - 社寺彫刻から発展した立体的な木彫技術であり、荒彫りから仕上げまで数百本の鑿を使い分ける[21]。
- 木曽漆器(長野)
- 松本家具(長野)
- 南木曽ろくろ細工(長野) - 豊かな森林資源を背景とした高度な挽物技術により、ケヤキやトチの木目を生かした盆や椀を製造する[22]。
- 飛騨春慶(岐阜)
- 一位一刀彫(岐阜)
- 名古屋桐箪笥(愛知)
- 京指物(京都) - 茶道文化の発展とともに洗練され、無垢板を用いた調度指物や、曲物・挽物を複合させた茶道具など、極めて優美な造形を持つ[23]。
- 大阪唐木指物(大阪) - 黒檀や紫檀などの硬質な輸入銘木(唐木)を用い、複雑な組み接ぎ技術で強固な調度品を製作する[24]。
- 大阪泉州桐箪笥(大阪)
- 大阪金剛簾(大阪)
- 高山茶筌(奈良)
- 豊岡杞柳細工(兵庫)
- 宮島細工(広島) - 厳島神社のろくろ技術に起源を持ち、木目を生かした杓子やろくろ細工、彫刻物などが広く知られている[25]。
- 都城大弓(宮崎)
- 別府竹細工(大分)
伝承
経済産業省が発表したデータによると、全国の伝統的工芸品産業全体の生産額は、バブル経済崩壊後から長らく減少傾向を辿り、平成28年度(2016年)に1,000億円の大台を割り込んで以降も、反転の兆しを見せず漸減傾向が続いている[26]。これに連動して、産業を支える職人および従業員の数も減少の一途を辿っている。令和2年度(2020年)時点で約5.4万人であった従事者数は、わずか2年後の令和4年度(2022年)には約4.8万人へと急速に縮小している[26]。
これらの職人の技術を次世代へ継承することは、国および関係機関にとって課題である。文化庁は、指定する重要無形文化財の枠組みにおいて、木工芸は高度な歴史的価値と芸術的表現を内包する工芸技術として明確に位置づけている[8]。文化財保護法に基づくこの制度において、高度な技術を持つ個人を各個認定(通称:人間国宝)として指定し、その技術の保存と錬磨を国家規模で推進している[9]。木工芸の分野においては、主として作家個人の高度な作家性が評価される各個認定が中心となっている[27]。国は現在、存命する重要無形文化財保持者の総数を予算の都合上116名を上限と定めた上で、各保持者に対して年額200万円の特別助成金を交付している[9]。この助成金は、保持者自身の技術錬磨のみならず、後継者の育成、公開事業や展示会の開催、そして記録映画などのアーカイブ作成といった多角的な保存活用事業に充当されている[9]。
人材育成の枠組みとして、公益社団法人日本工芸会は国(文化庁等)からの補助を受け、昭和40年度(1965年)より伝承者養成技術研修会を継続的に開催している[28]。この研修事業の最大の特長は、人間国宝自らが直接の講師となり、日本工芸会の会員など次代を担う中堅・若手作家たちに対して実践的な技術指導を行う点にある。過去の記録によれば、木工芸の分野では昭和40年代から50年代にかけて、黒田辰秋、氷見晃堂、木内武男、大野昭和斎などが講師を務め、京都や東京、岡山などの主要産地で集中的な技術伝承が行われてきた歴史がある[28]。令和2年度(2020年)以降は、後継者不足という切実な課題に対応するため、より幅広い年齢層と経歴を持つ工芸家を対象とした研修セミナーも新たに導入され、技術の底上げと保存活動の裾野拡大が図られている[28]。
経済産業大臣は、昭和49年(1974年)に伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)を制定した。現在では全国で240品目を超える工芸品が指定を受けており、その中で木工品・竹工品のカテゴリーは合計33品目(令和6年時点)を数え、織物類に次いで陶磁器とともに国内最大規模の品目群を形成している[29]。
人間国宝
- 黒田辰秋 - 京都を拠点に活動し、昭和期に木工芸と漆芸を融合させた木漆工芸の第一人者[30]。代表作は『拭漆欅大飾棚』や『朱沃地大名縞飾筺』。
- 中川清司 - 軟木特有の加工技術を極め、柾目の神代杉から切り出した微小な部材を正確に組み合わせて幾何学模様を構築する「木画箱」の制作で高い評価を得ている[8]。
- 須田賢司 - 祖父の代から続く木工芸家の系譜に生まれ、木取りから加飾、組立に至るまでの指物の全工程を担う。、『御蔵島桑とシカモアの小箪笥「桑の道」』などの作品群を作成[27]
- 大野昭和斎 - 桑を用いた線象嵌技術の極致を示す作品を手がける。代表作は『桑造線象嵌箱』。
- 村山明 - 美しい欅の杢目を拭漆で際立たせた作品を手がける
- 川北良造
- 大坂弘道
- 中臺瑞真 - 『桐菱形輪花盛器』などの記念碑的な作品を創造している[8]。
- 前史雄 - 沈金技法を用いた記念碑的な作品を創造している[8]。
歴史
日本の木工芸は、豊かな森林資源をもとに古代から発展を遂げてきた。縄文時代の遺跡からは椀や弓、舟など、簡易な木製品が発掘されている[31]。
古墳時代から飛鳥・奈良時代にかけて、アジア大陸から職人たち渡来し、その影響を受けて、木工技術が飛躍的に向上した[32]。この頃には、木造建築技術や仏具の制作、正倉院宝物に見られるような木工品が生み出されている。その後、平安時代には国風文化の隆盛とともに、貴族を中心に雅な調度品として木工品の技術が発展した。鎌倉時代には中国から伝来した建築工法である貫工法をもとに、釘などの金物を使わずに木を組み合わせる継手や仕口と呼ばれる技法が産み出された[32]。
17世紀の元禄時代になると、武家用の家具、商人用の実用的な調度品などの需要が高まり、芸術の主要分野の一つとしての地位を確立した[12]。19世紀以降、国際貿易を通じ、外国でも日本の工芸品への需要が高まった。
現代の技術進化と産業需要により、木工の分野は変化した。例えばコンピュータ数値制御(CNC)工作機械の開発により、大量生産や複製生産をより早くかつ無駄なく、多くの場合より複雑な設計で行うことができる。CNCルーターにより平面の木材に複雑で緻密な彫刻をして、看板や芸術品を製作できる。充電式工具により、例えば複数の穴開けが、より多くの製作をより早く以前よりも身体能力を必要とせずに行うことができる。しかしながら、熟練の高度な木工は、多くの人が追求する技術である。手作り作品は家具や芸術作品に残るが、製作効率と費用から、販売価格は非常に高価になる。近代的な道具としては、木工旋盤、丸ノコ、ルーターなどが在り、中には電子制御で回転数を制御するものもある。
現代においては、ライフスタイルの変化に伴い、伝統的工芸品産業全体が衰退傾向である。大型の和箪笥から、小振りな鏡台、裁縫箱、手提げ型の引き出し、さらには現代的なインテリア空間に溶け込むモダンなデザインの小家具へと、生産の重心をシフトさせながら、技術を守り抜く模索が続いている[33]。
