村上幸子
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新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身[2]で、芸名は当時の出身地に近い「村上市」から取ったもの。1979年に『雪の越後を後にして』でクラウンレコードから歌手デビュー[2]。1984年の「酒場すずめ」が人気を集め[2]、歌唱賞レースに参戦した。
1985年8月15日、クラウン芸能からホリプロに移籍。新潟県出身者で初めてホリプロに所属する事となった。
1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞中の「泣いて血を吐く ほととぎす」という表現が、当時、昭和天皇が重体だったことから「時期的にも適切な表現とは言えない」として放送自粛になった[2]。後に「不如帰」は2006年に瀬口侑希がカバーした。
また文化放送のラジオ番組『日野ダイナミックスコープ 走れ!歌謡曲』にやはり新潟県出身者で初めて同番組のパーソナリティを務めた。しかし1989年、喉部に大豆状のしこりが見つかり検査の結果、悪性リンパ腫と診断され入院した。その間もリスナーなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化し、1990年7月23日、31歳で死去した。
『走れ!歌謡曲』のパーソナリティだった小池可奈が、村上の半生とその交流を語った伝記本「さっちゃん物語」(三五館)を著している。
出演番組
- 日野ダイナミックスコープ 走れ!歌謡曲(文化放送)[1]