村井倉松
From Wikipedia, the free encyclopedia
青森県上北郡百石村(百石町→おいらせ町の前身)に生まれる。1911年(明治44年)に東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業。1914年(大正3年)高等文官試験外交科(外交官及領事館試験)に合格し、長春領事官補となる。
東亜同文書院商業学教師、外務省通商局第1課長、同第2課長、上海総領事、シドニー総領事などを務め、上海総領事時代には、第一次上海事変に対応し呉鉄城上海市長と協議を行った[2]。上海天長節爆弾事件で、重傷を負う。シドニー総領事時代には、日豪通商航海条約締結に向けた交渉にあたった。1937年(昭和12年)からシャム公使(駐タイ公使)を務め、友好通商航海条約に調印。退官後、1951年(昭和26年)に八戸市長に就任したが、任期途中で死去した。